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大祖大神社と須佐神社という2つの神社は拝殿がつながっており、境内をぐるりと回廊がまわっていて、陣屋や城を思わせるつくりをしています。福岡県神社誌を読むかぎり、1747年の社殿建て替えの際、小倉藩小笠原公から両社に対して合同で造営費の奉納があったとあります。最低でもその時点ですでに、2つの神社が並立する現在の姿になっているのでしょう。
境内は2018年7月の豪雨災害で裏山が崩れたとのことで、鳥居の下には立ち入り禁止の表示があります。石段も傾いており、どこから登るのかと左右を見渡すと、大きい看板に手書き文字で、裏手の坂から登るようにと指示が書かれています。
それに従って、人の歩幅くらいのゆるい石段をあがっていくと、眼下に墓がみえます。おそらく、社家のお墓ではないでしょうか。
行橋市観光協会 - 【大祖大神社・今井津須佐神社 見学会】 被災状況や神社の歴史を案内します。 ご参加しませんか?... | Facebook
立派な回廊で囲まれた敷地内に入ると、正面鳥居と石段からみて向かって右側は、一面にブルーシートが張られた悲惨な姿になっていました。拝殿は被害をまぬがれているようにも見えましたが、上記の行橋市観光協会のFacebookに掲載された図のとおり、山の中腹を削って社殿が建っていることを考えれば、山体そのものがズレている可能性もあり、決して安易な判断は出来ないと思われます。
回廊や拝殿を眺めていると、桜紋が目につきます。どうやら桜紋が、この神社の御神紋のようです。
福岡県神社誌を参考にこの日記でよく使っている御神名で表現すると、須佐神社の御祭神は、八皇子(後述します)、スサノオ、奇稲田姫です。また、大祖大神社の御祭神は、高木大神(高皇産霊神)、大幡主(神皇産霊神)、天之御中主となります。もとは祗園社と妙見宮なのでこの配神は妥当とも思えるのですが、須佐神社の八皇子が目につきます。
記紀では、スサノオと天照大神のあいだに8人の子が居るとされています。赤貧は記紀の作り話だと考えていますが、いちおう列記すると、宗像三女神(湍津姫、田心姫、市杵嶋姫)、天之忍穂耳、アメノホヒ(=豊玉彦)、アマツヒコネ(=阿蘇神社の金凝彦)、イクツヒコネ(=健磐龍?)、クマノクスビ(=イザナミ)、といった面々であり、すでにこの日記の過去の記事をお読みになったかたは、出自がごっちゃの有名どころかき集めだとすぐわかるでしょう。これらの王や部族の上に立つ存在だというアピールだけの作り話ですが、「八」が「八」岐大蛇を連想させるために付け加えられたものだという気がします。
実際のところは、須佐神社はスサノオと奇稲田姫を祀る神社です。
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素戔嗚尊(すさのお)は天より降って出雲の國の簸(ひ)の川上に到った。その時、川上で泣き声が聞こえた。そこで声の方を尋ねると、老夫婦がきれいな少女を間にして泣いていた。 老夫婦は脚摩乳(あしなづち)と手摩乳(てなづち)といい、少女は二人の娘で奇稲田姫(くしいなだひめ)といった。
素戔嗚尊は泣いていた理由を尋ねた。老夫婦にはもともと八人の娘がいたが、毎年一人ずつ八岐大蛇(やまたのおろち)という怪物に食べられてしまい、末娘の奇稲田姫だけになってしまった。そして残った奇稲田姫ももうじき食べられてしまうので、悲しくて泣いていたのだという。
素戔嗚尊は、「八岐大蛇を退治する代わりに奇稲田姫を嫁に欲しい」と申し出た。老夫婦は喜んでその申し出を承諾した。
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八岐大蛇の伝承は有名ですので最後まで引用する必要はないと思います。この話は、部族間の抗争にスサノオが介入した話であり、言い替えると、金山彦に加勢したスサノオが金山彦の娘 奇稲田姫を得て、大山祗の勢力を撃退したという内容です。
八岐大蛇の伝承がどこを示すのかは正直定かではありませんが、おそらくは、山の尾根沿いに勢力を切り取ったというたとえではないかと考えています。山間の谷間ごとに集落がある地形は、全国どこにでもみられますが、北部九州で考えれば、京築はわかりやすい地形をしています。
大祖大神社の御祭神は、同じ妙見宮でも、すでにこの日記で触れた嘉麻市大隈町の北斗宮と同じ配神ではありません。
北斗宮は、高木大神(高皇産霊神)と大幡主(神皇産霊神)ではなく、イザナギとイザナミを祀っています。ここが面白いところであり、おそらく地域の特性を示しています。高木大神とともに、天之御中主と大幡主の姉弟が祀られている点は注目しておくべきでしょう。
しかし、それにしてもこの大祖大神社と須佐神社は大胆なところです。
正面向かって右手に大山祗(月読尊)の母親 天之御中主を祀り、左手に金山彦に肩入れして大山祗を追っ払ったスサノオをお祀りするとは、八岐大蛇伝説を知っていれば想像もつかないことをやってのけているわけです。
福岡県神社誌の氏子区域欄をみて、少しわかる気がしました。
須佐神社の氏子区域は、大字元永と大字今井であり、大祖大神社の氏子区域には大字長井と記載されています。山をはさんで、西と東。おそらく、この神社の配置は、講和を示すものではないでしょうか。
鳥居脇の燈籠に、筑前国嘉穂郡立岩村 麻生太七と奉納者の名前が彫られていました。麻生財閥の関係者らしく、少々驚きました。
(2019.08.17訪問)