美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

〈出雲〉という思想 近代日本の抹殺された神々

 

f:id:bifum:20181008220926p:plain
f:id:bifum:20181008220738p:plain
f:id:bifum:20181008220748p:plain
f:id:bifum:20181008220743p:plain

「神宮」を「本宗」とする1946年設立の宗教法人神社本庁に至った流れだけが、神道ではありません。そもそも神道とはなにかを江戸時代の学者が考えたとき、その比較参考としたのがキリスト教というのですから、もともとあった民衆の祈りとのちの国家神道(そして神社本庁教)が、いかに隔絶したものであるか、わかろうというものです。
 
日本書紀に、崇神天皇6年、皇居に祀っていた天照大神を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀らせたとあります。その翌年、大田田根子大物主神を祭る神主として祀らせたのが、大神神社のはじまりです。同年、物部氏が勅命により剣を祀ったのが石上神宮のはじまりです。
崇神天皇の子である垂仁天皇23年、出雲を造営とあります。これが今の京都亀岡の出雲大神宮なのか、明治まで杵築大社と呼ばれたいまの出雲大社なのかは、赤貧は浅学なのでよくわかりません。そして、垂仁天皇25年「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る」とあり、天照大神はやっと伊勢の地にたどりつきます。
 

神宮の歴史・文化|神宮について|伊勢神宮

神宮よりも古い神社はあったわけですが、神宮の説明は、このあたりを省略しています。上手いです。だから神宮は嫌いなのですが。
そう考えると、国家神道日本書紀焚書にしてしまう前に戦争が終わって国体が解体されたのも、神のおぼしめしなのかもしれません。