松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

占い師の功罪

自分も占いはやるほうだが、占い師やまじない師とかいう、ああいうてあいは好きではない。占いは基本的に、自分が右に行くか左に行くかを悩んだときに、自分に向かって卦を立てるものである。他人様にたいしてやるものではない。
 
かんたんなことで、やってみると言えないことが多いのだ。
 
これから人生がよくなる人ばかりではない。
カネは入るだろうが精神的にもう伸びないひともいる。
本人がのぞまなくとも、押し出されてしまうひともいる。
どうしても「ピークは過ぎました。これからは病むかもです」とは言えない。
 
東尋坊や樹海に直行させるようなことは言えない。するとどうしてもおべんちゃらでごまかすしかない。それに慣れたようなてあいが、開運とかなんとか平気で言いだす。開運招福で、そのひとの運勢はかわらない。どんなに備えても台風の進路は変わってくれない。ただ、被害の軽重がことなるだけ。また、個人のいくら運勢を占ったところで、住んでいる地域や国の運というものがある。勤め人の場合は、さらに社運もある。枠は何重にもはめられている。それを脱出したければ脱サラするか、移住するか、亡命するか。むろん、どこまで逃げられるかも、あるのだが。
 
20年以上占いをかじってきて思うのは、個人の運勢をいくら占ったところで、たぶんそのひとの人生の半分以下しか、わからないのではないか。社運、地域運、国運がのしかかる。本人の意思をこえた運命とは、そういうところから生まれてくる。その恐ろしさがわかるかどうか。