松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

予備校ねえ(゜゜)

ある予備校が校舎を大量廃校するらしい。

昭和虚人伝

昭和虚人伝

この予備校、ちょうど高校のころ佐野真一さんが本で触れていた。決していい書かれ方ではなかった。細*数子とこの予備校の創業者だった高*氏が超絶銭ゲバとして書かれていて、本当にそこまでひどいやつなのかとこっちが勘ぐりたくなるくらいだった。
進学校でもなんでもない、地元でも行くところのないやつが行く底辺高校を卒業し、当然センター試験なぞで点数をとれるはずもなかったおいらは、ある本屋に就職した。
ところがその本屋は半年で経営母体が交替し、整理解雇されてしまったのである。
祖父からもらった餞別には手をつけていなかったので、アパートをすぐ退去して田舎に帰らなきゃならんほど追い詰められてはいなかったものの、このまま何もしないわけにはいかない。今みたいに自宅警備業などというものが世間で認知されていない時代である。
たまたま西鉄香椎宮前駅だったか、市営地下鉄だったかで見たポスターを見て「そうだ予備校なるものに行って大学受けてみよう」と思い立った。すぐに行動してみたが、ほかの大手予備校は年度途中の入学は認めてくれず、学費を納めたらすぐ入校させてくれたここ以外、実質的に選択肢はなかったのだ。
 
予備校に入って半年、今になってみればよく勉強した気がする。繰り返すが進学校ではなかったので、勉強して模試の順位や偏差値があがる楽しみとは全く無縁だったから、頑張ったら頑張っただけ結果になることそのものが面白かったのである。何事も最初のわからないころに面白いと思うと、あとまで士気が持続するものだが、たまたまおいらの場合、それが受験勉強だったのだ。

 
とまあ、個人的にはたいへん恩義のある学校なのは間違いないのだが、近年はめちゃくちゃ没落していたらしい。全国約30校に8万人が在籍した、おいらが通ったころとは全く別物で、なんでも噂では全国で5000人くらいしか本科生が居ないという話も。
 
やっぱり、時代の差だろうと思う。おいらの若いころは、世間に名の売れた大学に行けば、将来が安泰というイメージが根強くあった。学歴に金をかける意味があったから、浪人が許された。ところが今はAO入試や推薦入試でほとんどの学生の合格が決定し、一般入試は、これらにすべった学生の敗者復活戦にすぎない。
さらに、名の売れた大学を卒業しても必ず将来は安泰といえない状況になってきた。金をかける重要性が薄れてきたのだ。猫も杓子も大卒になり、学歴が将来を約束する時代ではなくなった。
そうなれば、親も学生も、意識はかわる。進学校に通い、塾などで補強して、現役合格を目指す。推薦入試AO入試とも、試験一発勝負の合否判定ではないから、こつこつやったもん勝ちになる。
そして、どこの予備校や学習塾のポスターを見ていても「個別指導」「少人数教育」が踊っている。マスプロ教育は悪いものだという風潮になってしまった。この予備校は300人教室が基準のマスプロ教育の権化みたいなところだったから、もろに影響をうけてしまった。
 
正直、結構残念ではある。
マスプロ教育というと何かとんでもなく悪いものというイメージがあるが、実際にはそうではない。最低ここまでやらなきゃダメ、という部分を標準化すればマスプロ教育にしかならない。少人数教育とか個別指導では無理なのだ。無理というのに語弊があるなら、最初から個別指導は効率が悪すぎると言いかえてもいい。経営側だけでなく、受講する側にとっても、まず知っていなければならない常識の底上げには、マスプロ教育は有効である。ここらへんは、まず何かについて知りたければ、書店でハウツー本を買ってくるのに似ている。まず、ハウツー本で基礎知識を仕入れ、そのうえで必要に応じてさらに深堀りしていくのが最も効率的なのは、今さら言うまでもない。
勉強というのは、どうやればいいのかを教えてもらったらあとは自分でやるしかないもので、職人が先輩の技術を盗むのとほとんど変わらない。進捗管理は自分でやらないと意味がないし、目標設定も自分でやるものであって、他人から言われても達成感がともなわないから面白くない。
 
とはいえ、大学入試の在り方が変わった以上、マスプロ教育で一般入試に絞って受験テクニックを詰め込んでいくスタイルは、使命を終えたのかなと(゜゜)ひとつの時代の終焉か……