美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

「大植英次スペシャルコンサート」

「大植英次スペシャルコンサート」

行ってきました大阪まで(*^^)v
 
で、やっと帰ってきてお風呂入って寝る前なんですけどね。
 
ブルックナーってこんなに ぐねぐね・うねうね やるもんだったか?( 一一)というのが正直なところで。
はじまりの部分から、すでに直情的。
まあ、わかるちゃわかるんですよ。おれだって自分でたぶんやったら、ああいうふうに引きずり気味になるだろうな、って思うもん。
でもね。それを引きずらないで意味を与えるところに指揮者の本領があるんじゃないかと思うわけです。
で、その後も、思うがままにメロディーを早口にしたり、朗々と歌わせたり、絶叫させたり。
 
場面転換で、いったん停止させて、次のメロディーにいくわけですけどね。
交響曲なんですよね……。
メドレーとかファンタジーじゃないのですよ。
交響曲なんです。
場面の転換をさりげなく、どこまでも流れるようにやってナンボじゃないのかと(^_^;)
 
ただ、全てをブツブツ切ってたかというとそんなことはなくて、流れながら場面転換もむろんこなすわけです。
 
ということは、わざと何らかの意味を持たせて演出してるわけです。
 
なんの意味が?(^_^;)その意味が主観的すぎてまったくわからない……。
 

大植英次 大阪フィル

大植英次 大阪フィル

2004年の演奏会を収録したCD、あれ、大植さんがメチャクチャ遠慮したんだろうな、とは思ってたわけです。でも、あれからそう外れた演奏にはならんだろう、とも思ってたわけです。
いよいよラストになって、もやが晴れて見上げたさきに、神があらわれて、信徒が凱歌で迎えるわけだけれど、その部分をあのCDではえらくちょこちょこと終わらせてしまって。
最後の抵抗というか、この部分くらいはやりたいとおりやらせてくれ、という意思表示だと思ったし、あれが最大の減点要因だったわけですが。
だって、神の勝利をちょこちょこと終わらせるブルックナーがありますか( 一一)「我らは神とともにあり」でナンボなんですよブルックナーは。
 
今回の演奏は、あの最後の部分が全体に及んでると思えばわかりやすい。
 
なんかね……先代の料理と同じものを出せないってんで、目先をいじくった創作料理を食わされてる気分……。
まあ、食えない料理ではなかったですけどね(^_^;)心情としてはわかるし、客席が盛り上がるのもわかる。料理人としての腕前はいいと思うんだ。それぞれごとに場面をぶつ切りにしちゃえば、それぞれがそれぞれなりに意味がとおってるもん。
ただ、ブルックナーでやっちゃうと、どうしても上っ面そろえるばっかりで、起承転結のない演奏になっちゃうんだよ。
 
……新幹線代返せ!って感じですかね。
天神までの電車賃なら払ってもいいけど、新幹線代はこれじゃ無理だな。