美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

熊本県八代市妙見町 八代神社(妙見宮)




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3年ぶりに八代妙見宮を訪問しました。 

私が訪問した4月9日はなにかの祭典だったのか、ひっきりなしに祈願のかたが訪れていました。

楼門から拝殿、渡り、入母屋の本殿に至るつくりがわかるように撮影してみました。

八代神社 - Wikipedia

1730年(享保15年)に書かれた『妙見宮実紀』によれば、795年(延暦14年)、横岳頂上に上宮を創祀。1160年(永暦元年)、中宮を建立。1186年(文治2年)に、後鳥羽天皇の勅願で、検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣隆房により下宮が創建された。
1870年(明治3年)までは妙見宮と呼ばれた。妙見神とは、北極星・北斗七星の象徴である。神道と仏教の両部の宮寺で、広く崇敬を受け、八代、下益城、芦北三郡の一の宮として栄えた。1871年(明治4年)、神仏分離令により、天之御中主神、国常立尊を祭神とし、社名を八代神社と改められ、県社となった。

すでに何回もこの日記で取り上げたお宮さんですので、今回は書き漏らしている点のみ触れたいとおもいます。

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亀蛇碑の由来

古来中国では亀蛇(ガメ)のことを龍の六番目の子どもでピーシーと言う。
背中に大山を乗せてもビクともしない。

所謂(いわゆる)どんな重い任務を背負ってもそれを着実に遂行することが出来る力量を持っている、と同時に頭を撫でれば幸福になりお尻を撫でれば病気しない。と伝えられている。

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亀って蛇(龍)の子供だったんですね……。

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薩摩街道・豊前街道 | 旧街道地図

薩摩街道・豊前街道は、山家・長崎街道追分から鹿児島までの約322kmの街道です。

上宮から中宮、外宮への移転を考えるとき、街道筋に近い、ひろい土地が確保できる場所に下りてくる必要があったのかもしれません。

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道を挟んで隣にある宮地小学校の敷地内には、神宮寺跡の標柱があります。

信仰がひろまるにつれて、それにふさわしい土地を求め、お宮自身が山を下りた可能性はあるとおもいます。

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八代神社

八代神社は、明治4年(1871)まで妙見宮と呼ばれ、文治2年(1186)に検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣高房がこの地に創建したと伝えられています。祭神は、北極星と北斗七星を神格化した天御中主神と国常立尊です。
南北朝時代から戦国時代の混乱期を過ぎ、加藤氏による八代城完成と同年の元8年(1622)に社殿が、また、寛永13年(1636)には細川三斎公によって神輿と神輿屋、脇殿、拝殿などが再興されました。その後も元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に、城主松井氏によって修復がなされ現在に至っています。
社殿は、屋根は入母屋つくり、正面に千鳥破風があり、数多くの緻密な彫刻が随所に施され、江戸時代中期から後期の社寺建築の特徴がよく表されています。
11月22・23日の秋季例大祭である妙見祭は九州を代表する都市祭礼で、「八代妙見祭の神幸行事」として国の重要無形民族文化財に指定されています。

Yatsushiro Shrine

Yatsushiro Shrine was called "Myoken Shrine" until 1871. According to tradition,the shrine was founded on this site in 1186 by Oe-no-Ason Takafusa,blind government officer in the late Heian period (794-1192).The shrine is dedicated to Ameno-minaka-nushinokami and Kunino-tokotachino-kami deifications of the polar star and the Big Dipper.
After period of confusion from the Nambokucho (1336-1392) through Sengoku (1467-1573) periods, the main hall was rebuit in 1622, the same year Yatsushiro Castle was established by the Kato family. The mikoshi (portable shrine), mikoshi house, side hall and other buildings were rebuilt in 1636 by Sansai Hosokawa (aiso known as Tadaoki Hosokawa, 1563-1646), the first lord of the Higo Kumamoto domain, Later, repairs were made by the Matsui clan, the family of the lord of Yatsushiro Castle for generations, in 1699 and 1749. 
With a half-hipped roof, gables at the front, and elaborate decoration in various parts, the main hall has characteristics of religious architecture in the mid and late Edo priod (1603-1868).
Every year on Nov. 22 and 23. the shrine holds the Myoken Festival, one of Kyushu's most renowned urban festivals. It is designated as a national significant intangible folk cultural asset.

過去の訪問記録

八代妙見宮 - 美風庵だより

霊符神社 - 美風庵だより

八代妙見宮 - 美風庵だより

鎮宅霊符神社 - 美風庵だより

八代妙見宮と霊符神社 - 美風庵だより

(2022.04.07訪問)