松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

9月29日のつづきと30日の日録

29日の運動経路(なまずの神社編)

うっかり夜中に紅茶飲んで胃を荒らしてしまい、2食抜きとなってしまいました。

気力的にもかなり問題がありますが、行けるときに行かないと次にどうなるかはわかりませんから、やっぱり多少の不調はおしても、歩かなければなりません。

どうなるかわかりませんよ。あした、モスクワからミサイル飛んでくるかもしれませんしね。

上西郷」バス停に到着しました。朝・昼抜きでやっとこ調子がもどりかけてきたので「ソイジョイ」を、水筒につめた水で流し込みます。

googleマップに「宗像四国西部霊場第15番」とあります。薬師堂のまわりを仏さまがずらりと取り囲んでおり、数えると30以上。よくみると、十三仏が2セットと、お大師様などが並んでいます。どうやらこれ、この近辺にあった仏さまをぜんぶ集約したもののようです。

今回の散歩の安全をお願いしました。

雲が多く、しのぎやすい天気です。やっとこういう天候に恵まれるようになりました。

さいしょの目的地「小烏大明神」がみえてきました。

ここは福岡県神社誌に記載がなく、googleマップとゼンリンで知りました。

小烏大明神なのでヤタガラスを祀っているとおもいきや、インターネット情報では、JR福間駅付近の小烏神社が元宮だそうで、御祭神は「少彦名神、綿津見神、高龗神、闇龗神」とのこと。え?とアゴが外れかけます。

国道3号沿いに、きれいなコスモスが咲いています。

花をながめられるって、素晴らしいですね……。

白い彼岸花も、あちこちでたくさん咲いています。

歩いていて気づいたのは、とにかくこの地域、揚水場があちこちにあります。水利がよくないのかもしれません。

地図からいくと、あの丘(小山)のてっぺん辺りに、次の「小烏神社」がありそうです。

結論からいうと、神社への登り口は畑の間の里道でした。

なお、この「小烏神社」は、福岡県神社誌では御祭神を「玉依姫命」としています。ここもヤタガラスではありません。

福津市総合運動公園「なまずの郷」がみえてきました。

安かったので「三ツ矢クラフトコーラ」を1本買って休憩です。コーラってカフェイン入りだよね?といっしゅん思いましたが、買ってしまったものはしかたがありません。

次の目的地「谷底神社」に向かいます。

「谷底神社」です。どうみても谷底にはみえませんが、戦時中に「陸軍上西郷航空廠弾薬倉庫」を作るさい、立ち退きになったお宮さんとのこと。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

今昔マップを確認すると、弾薬庫のあたりは「山久:やまきゅう」とあります。 

eMAFF農地ナビ - 農地詳細情報 

いまは田畑の情報をたよりに小字をさがすことができます。「農地ナビ」でみると、弾薬庫の辺りは小字スズメサカ、それより山側が小字オオモリ、集落側(国道3号寄り)が小字ヤマキュウです。

598 無格社 小烏神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字井尻
599 無格社 須賀神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字大森
600 無格社 須賀神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字尾林須
601 無格社 愛宕神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字旦ノ原
602 無格社 天満神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字火打石
603 無格社 須賀神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字針元
604 無格社 鞍掛神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字鞍掛
3269 村社 大森神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字ヤケミドウ

赤字については場所が比定できているので除外するとして、どうやらこの鳥居マークは「字大森の須賀神社」のようなのです。最終的には弾薬庫跡周辺まで足を伸ばして踏査するしかありませんが、どうしたものか……。

谷底神社の隣に、「大森宮」があります。

ここは大内家の命で応仁の乱に従軍した当時の神職がナマズに助けられた伝承が有名です。

神さまがナマズの姿で助けに現れたようすが、絵馬になっています。

平成13年とあるので2001年、秋篠宮さまもナマズつながりで大森宮を参拝されています。

次の須賀神社(600 無格社 須賀神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字尾林須)は、てこずりました。地理院地図でこれだろうとおもい歩いてみると、たぶん長靴でもないと歩けません。

さすがにこれはおかしいとおもい、ほかをさがします。

農地ナビ」では小字が「ヲハヤシ」となっており「尾林須」ではないのですが、ここで間違いないでしょう。

もう一社、「須賀神社」(603 無格社 須賀神社 宗像郡上西郷村大字上西郷字針元)を訪問して、終了です。この石祠が須賀神社で、もうひとつのお宮は「三所神社」とあります。三所神社とは神様を3人祀っているという意味しかなく、各地でいろいろ御祭神がことなりますが、この宗像周辺では湍津姫・田心姫・市杵島姫の3柱ということになります。説明等はありませんが、おそらくそうでしょう。

さいきん、ほんとうに藁を干す光景をみかけなくなりました。むかしは畜産や酪農家が濃厚飼料に刻んで混ぜる増量剤として購入したり、御座などいろいろ製品があったのでこういう光景はあちこちでみられましたが、もうほんと、なくなりました。

約6km、2時間の散歩でした。いずれ弾薬庫跡より先に足をはこびたいとおもいます。

大橋駅の鳩公園

西鉄大橋駅の通称「鳩公園」です。木々に白い粒粒のようなものがみえるとおもいますがこれ、鳩です。夜になるとここの木々にあつまります。ここで夜を過ごして、昼間は各地へ餌をとりに遠征にでるわけです。

夜になったらもうそれはそれはの大合唱で、しかも木の下はフンだらけですから、パチンコ屋のほうに避けて、駅にはいる必要があります。

体調がわるく、歩いて10分、自転車で5分の距離を、駅まで車で行きました。駐車場、寂しいですね。1時間電車に揺られて戻ったら、やっぱり都会と田舎の差を感じます(笑)

お目覚めの音楽と。

松村禎三: 交響作品集

Songs of the World Revolution

いちど帰宅して荷物を置き、再度近所のセブンイレブンで「松村禎三 交響作品集」を受け取ってきました。

松村禎三さんのピアノ協奏曲第1番はむかしからお気に入りですが、底辺労働者でなかなかおカネがなく、いまごろ購入しました。

現在使っているiPhone11proをios16.0.2にアップグレードしたら、朝の目覚まし音楽(ソ連版のインターナショナル)を発見できなくなったので、本棚から引っ張り出して再度リッピングしなおします。

【ロシア語】インターナショナル (Интернационал) (日本語字幕) - YouTube

朝のお目覚めは、中共版やフランス版ではダメです。このソ連版の「でーーーーーーん」というはじまりじゃないと。

30日の運動経路

30日も、あとで合流することにして、神社めぐりです。「若木台団地」バス停を起終点とします。

ちかくに来ている以上、事前にリストアップしているところはすべて行きます。

神興東(じんごうひがし)小学校です。

今日あるく地域はむかし「神興村(じんごうむら)」と言っていました。

福岡県宗像郡神興村 (40B0120005) | 歴史的行政区域データセットβ版

神興神社・神興廃寺(福岡県福津市)・福岡地域別探検

福間東中学校に隣接する所にある神興神社(じんごうじんじゃ)の祭神は宗像三女神で、宗像大社の社説(宗像三所大菩薩御縁起)には、宗像三女神、はじめは室貴(鞍手郡鞍手町室木)の六ケ岳に天降りまして、のち津丸郷にお移りになり、ここで神威がますます輝きわたった。そこでこの里を神興村という。その後、今の沖の島 ― 田心姫命(たごりおひめのみこと)、大島 ― 湍津姫命(たぎつひめのみこと)、田島 ― 市杵嶋姫命( いちきしまひめのみこと)の三所にお鎮り(しずまり)になった。と伝えている。

ふつうにかんがえると神興(じんごう)ではなく神郷(じんごう:かみのさと)でよさそうなものですが、1889年(明治22年)成立という時代背景をかんがえるとさすがに厳しかったのでしょう。

今日の1社目は「天満宮」です。江戸時代に勧請されたものとのこと。

拝殿裏の根上がりのクスノキが立派です。

地理院地図をみると背後に道があり、裏から拝殿裏の御神木の全景が撮れるかもしれません。地理院地図に載っているんだから私道ではないはず(地理院地図は私道は掲載しません)だと裏手にまわろうとすると、隣家の住人から誰何され「市道から先はぜんぶうちの土地だ。そんなこと(=お宮と御神木の全景を撮りたい)で足を踏み入れるな」と言い張ります。中年女性と議論してもしかたがないので、さっさと退散しましたが、この天満宮を訪問予定の地域外のかたはお気をつけください。

「神武神社」です。案内板には「神武天皇が東征の折、この地に鳳輦を駐め給う。その陣跡に社を建立す。」とあります。

鳥居の「六権現」の扁額は「神武天皇が天照大神から六世に当り給う故「六権現」と号し奉る」というのが公式の見解です。

ただ、このあとに訪問した「神興神社」の案内板には「宗像社縁起に曰く、宗像三女神初め室木の六ヶ嶽に御着、その後此の地に留り給う。此の村に於て神威輝耀を以って神興と号す。その後三所の霊地(田島、大島、沖ノ島)に御遷座あり云云とある。」とあり、六之神社・六所神社・六嶽神社といった社号の神社が各地にあることをかんがえても、六権現はやはり宗像三女神が中心で、その聖蹟を神武東征(神秘書からかんがえると東征したのはカムヤマトイワレヒコではないというのが個人の理解)に利用した?ということではないか……。

最後は久末地区の「若八幡宮」です。

隣に「宗像四国西部霊場第85番」があり、観音さまが祀られていました。

4.3km、約80分の散歩となりました。