朝を迎えてから南海泉大津駅まで。
5時を過ぎて状況を確認すると、明石海峡大橋をすぎて、神戸沖を泉大津港にむかっているところのようです。
おしっこに行きたくなって、4時に目が覚めました。
二度寝しようとベッドに横になったら、どこかからか目覚ましの音がします。足元のほうからするので、自分より船尾側のようです。そこまで大きな音ではないのでもうひと眠りしようとしていたら、ドアが開いて、扉をたたく音がします。どなたか目覚まし音でブチ切れたようです。
あきらめて扉をたたく音がやんでも、まだ目覚まし音はしています。なんと10分鳴りつづけました。どんな設定をしたら10分も鳴るのでしょうか?いや、もしかすると自分がすぐ停めているだけで、気づかなかったら10分鳴るものなのか?
そんなことをかんがえていても寝落ちはするようで、気づくと5時過ぎていました。
甲板に出ると、すでに朝日はずいぶんと高い位置にありました。方角的に、堺の辺りでしょうか。
たぶん大阪だとおもいます。
部屋に戻ったら顔を拭いてひげを剃り、下船の準備をします。昨日買ったふねこの缶バッヂを、かばんにひとつつけました。
この乾電池式電気カミソリはたまにしかつかいませんが、時間をかければみられる程度には剃れます。しかもコンパクトですからかさばりません。
荷物をまとめてロビーに出ると、すでにお客さんがテレビをみながら待機されていました。
出入り口の開放を待っているとふねこの姿がいっぱいです。
船内どこをみてもふねこだらけで、いったいこの船何匹猫を飼っているんでしょうか。
連絡バスで、6時半前に、南海泉大津駅に到着しました。
神社めぐりをする。
南海羽衣駅で下車してJR東羽衣駅まで歩き、JR鳳駅で下車します。
大鳥大社をめざします。
どうやらいま歩いている道は、熊野街道だったそうです。
大鳥大社の社殿前には茅の輪がありました。
入口に案内板があり、いかにも日本武尊がメインのように読めますが、大鳥連祖神について「大中臣氏と元を一にし、祖先は天児屋根命」とあり、しばらくかんがえこんでしまいました。
北部九州で神社めぐりをしていると気づくのですが、この両者、ずいぶんと血筋がちがいます。天児屋根命とは天之忍穂耳のことで、天之忍穂耳-大山咋-崇神天皇(大中臣氏)という現王朝に連なる系統の一族です。日本武尊の父は天足彦、子は足仲彦で、彼も天之忍穂耳=天児屋根命の一族ではありますが、大鳥連祖神より現王朝との血筋は遠いのです。すると、最初は現王朝の祖に近い一族を祀っていたものが、時代が下って記紀の記述が当たり前となりリブランドにせまられ、日本武尊にあやかったと考えられるのです。たしかに血筋がいくら良くても、記紀で活躍しているほうが、かっこいいですものね……。
仁徳天皇陵
ほんとうは一つ手前のJR百舌鳥(もず)駅で下車しないといけなかったようなのですが、あれこれ考えているうちに南海・JR三国ヶ丘駅で下車しました。
福岡県小郡市にある西鉄三国が丘駅は、筑前・筑後・肥前に面した三国村が名前の元ですが、この南海・JR三国ヶ丘駅の「三国」は、摂津・河内・和泉の三か国だそうです。
これ、相当歩くんじゃねえか?とおもいはじめましたが、いくらなんでもまだ8時前です。歩けるでしょう……。
陪塚とされる源右衛門山古墳の横をとおりぬけると……
正面まで1kmとの表示がありました。
それにしても、ジョギングしているひとの多いこと。
柵があります。むかしはここから入れたのでしょうか?
やっとこ正面にでました。
横にある宮内庁の制札は、どこも同じなのが妙に面白く感じます。
仁徳天皇は大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)で、稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおひひ)こと開化天皇=高良玉垂命の子であり、すでに実権はありません。
三国志でいえば司馬氏台頭後の魏国みたいなもので、なぜこれほどの陵墓をつくってもらえたのか、謎です。
住吉大社再訪
南海住吉東駅にやってきました。ここから「生根神社(奥の天神)」「住吉大社」まで歩きます。
ふるい町屋のつくりがあちこちに残っていて驚きます。
住吉大社は、神功皇后摂政11年(211)創祀と伝え、またそのとき「真に住むに吉のところ」(真住吉国)とたたえられたことから、「住吉」の地名が生まれたと言われています。
ふるくからある地域のようです。
地図を確認すると相当おおきな村だったらしく、どうやらこの近辺だけでも相当みるべきところがありそうです。演奏会のたびにしばらく通うことになるとおもいます。
googleマップでは「奥の天神」とあるためそれが正式名称かとおもっていたら「生根神社」がただしいようです。
生根神社を出て、住吉大社を訪問しました。
今回の内容は「神社めぐり」であらためて書くとして、第一本宮だけ、割拝殿のあいだが埋められているのに気づきます。
第二本宮もほかのお宮も、割拝殿はきちんと真ん中が下がっています。
前回訪問したときは、花菱紋でもあり、九州から出てきた世代により祀られた玉垂宮だと解釈していました。ただ、どうも玉垂宮ではあるものの、一緒にやってきたひとたちの祭祀も入り混じっており、一筋縄ではいかないようです。
鍵は、大海神社の御祭神が豊玉彦・豊玉姫であることです。彼らの子が鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)で、玉垂宮神秘書では(初代)住吉大明神とされています。鵜葺草葺不合命の子 安曇磯良(志賀神)は綿津見三神のひとりであり、そしてまた表筒男尊であることもかんがえれば、どうやらここは安曇族の拠点とかんがえても差し支えないようなのです。
社地北側にある摂社 大海神社です。
そもそも、大海神社(だいかい=じんじゃ)と読ませていますが、おおわだつみ社とかんがえれば、豊玉彦どころかその父 塩土老翁(=博多のお櫛田さん、大幡主、国常立命、神皇産霊神、熊野速玉男)かもしれないわけです。その場合相殿にある女神は、姉の天之御中主(近くに星宮の祠がありますね)か、山幸彦(猿田彦、饒速日:にぎはやひ)の母親な天照大神か、豊玉彦の母親なイザナギ(熊野夫須美)さんかもしれず、はっきりと重心が切り替わっています。
玉垂宮は、末裔の皇子をかついでこの地に出てきたひとたちにとって、祀りあげておくべき対象として認知されていたものの、実際には九州から出てきたひとたちの祖神のほうが、濃厚に配されています。
似た構図を、むかし石清水八幡宮を訪問したときに感じました。これは本当に宇佐神宮(宇佐八幡宮)の分社なのか?とかんがえたものです。
このあと、阿部野神社に向かい、お参りしてそこで午前中の神社めぐりは終了でした。
演奏会、そして帰郷
Osaka Shion Wind Orchestra 第143回定期演奏会 - 美風庵だより
昼からは大阪市音楽団の演奏会を聴きました。
ほんとうは19時発の新幹線を予約していたのですが、午前中歩きまわったせいかだるく、演奏会終了後、17時8分発の新幹線に予約変更しました。
新大阪駅で今回も駅弁を購入しました。「牛タン2種弁当」とあり、味はよいのですが、冷めて麦飯がかたいため、せっかく牛タンにかかっているタレが美味いのに、どうもよくありません。持って帰って電子レンジ前提なのか?ともおもいます。
どこの弁当屋さんがつくっているのかとおもったら「利久 大阪デリバリーセンター」と表記があり、あの牛タン屋さん駅弁までつくっているのかと驚きました。
グレーのマスク
いつもはシャープのマスク定期便サービスで届くマスクをつかっているのですが、歩いていると汗で鼻の頭が透けます。途中のコンビニで、グレーのマスクを買いました。
汗がごまかせます。色付きマスクはオシャレさんか、複数日使い回すケチがつかうものとおもっていました。認識をあらためました。
汗が染みても透けないのは、すばらしいことです。
これからの季節、シャープマスクやめてこういうのに乗り換える必要があるのかもしれません。
http://www.uegaki-beika.co.jp/shin-osaka-limited/
お土産は新大阪駅で「手揚げうぐいすボール」を3袋買いました。
これ、関西に来ないとないんですよね。