松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

Osaka Shion Wind Orchestra 第143回定期演奏会

第143回定期演奏会 | コンサート情報 | Osaka Shion Wind Orchestra - 大阪市音楽団

Osaka Shion Wind Orchestra 第143回定期演奏会
日時:2022年6月26日(日) 13:00開場/14:00開演
会場:ザ・シンフォニーホール(大阪府大阪市北区大淀南二丁目3-3)
[出演] 
指揮:秋山和慶
[曲目]
A.コープランド:戸外の序曲
I.ストラヴィンスキー:管楽器のためのシンフォニーズ
V.パーシケッティ:交響曲 第6番 作品69(バンドのための交響曲)
P.クレストン:祝典序曲 作品116
K.フサ:プラハ 1968年のための音楽
[アンコール]
M.グールド:「American Symphonette no 2」から「Pavane」

なかなか吹奏楽団の演奏会には足をはこびません。前回は、なんと5年前です。池袋で東京佼成ウインドオーケストラを聴きました。

大阪市音楽団を最後に聴いたのは、まだ朝比奈隆さんが存命中でしたから、20年以上むかしのことです。ふと行く気になったのは、秋山さんの演奏会ということもあるし、「プラハ 1968年のための音楽」を聴きたかったということもあります。

吹奏楽で名曲とかマスターピースと言われる曲は、往々にして合奏協奏曲の趣をもちます。作曲家は演奏家の見せ場をつくろうとしますし、吹奏楽にかんしては聴く側と演奏する側の関係が一般的なクラシック音楽より近いため、双方とも「見せ場がある曲」を好みます。それがいいとか悪いとかではなく、これが或る意味オリジナル曲のもつ限界であったわけです。物語性は表現力自慢の後回しにされてきました。

そういうなかで、はじめて「プラハ 1968年のための音楽」を聴いたときは衝撃でした。高校の吹奏楽部で太鼓をたたいていたころの話です。メッセージ性のつよさが半端ではありません。ただ、スメタナの「我が祖国」の一部が出てくるのが、気になります。なんで?

アレクサンデル・ドゥプチェク - Wikipedia

ワルシャワ条約機構軍は1968年8月20日夜から8月21日朝にかけてチェコスロバキアに侵攻した。条約機構軍はチェコスロバキア共産党中央委員会ビルを占拠して管理下に置き、ドゥプチェクら改革派の共産党幹部を逮捕してソ連軍の輸送機でモスクワに連行した。条約機構軍に対し、チェコ人とスロバキア人は非暴力による抵抗を続けたが、モスクワに連行されたドゥプチェクらは最終的に圧力に屈し、ソ連の要求に応じることを余儀なくされた。
ドゥプチェクと改革派幹部の身柄は8月27日、プラハに戻された。ドゥプチェクは引き続き第一書記の地位に留まることが認められたものの、改革政策は完全に頓挫した。

のちに「プラハの春」がどういうものであったかを知ります。成人するまで曲は知っていても、曲のもとになった歴史的事件がどういうものかは、知らなかったのです。

わが祖国 (スメタナ) - Wikipedia

第5曲:ターボル
ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 - 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。しかしその死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは18年にも及ぶものであったが、結果としてフス運動は失敗に終わる。しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることになった。フス派の讃美歌の中で最も知られている『汝ら神の戦士』が全篇を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる

そもそもスメタナの「我が祖国」の5曲目・6曲目に出てくるメロディーが、むかしの讃美歌だということも、そのころに知りました。

Ktož jsú boží bojovníci - Wikipedia

(メロディーそのものは、上記wikiの最下部にリンクがあります)

    Ye who are God's warriors and of his law,
    Pray to God for help and have faith in Him;
    That always with Him you will be victorious.

(以下は自作の怪しい和訳)

    神の戦士であり、その律法の者である汝らよ。
    神に助けを求めて祈り、神を信じる信仰を持ちなさい。
    常に神とともに勝利するのだ。

「いかなる困難も乗り越えて、希望をもってうち勝とう!」とたからかに歌われるのですが、どこか空疎です。「我が祖国」での引用と、この曲ではだいぶ違います。

この空疎感は以前から気になっていました。

秋山さんの指揮で市音のみなさんの演奏を聴いていると、作曲家自身も「絶対勝てる!」と100%自信満々ではなかったのではないか、という気がしてきます。壮大かつどんなに強調しても、やはりどこかに疑念があったのかもしれません。

紙背まで描き尽くすような感覚は、やっぱり秋山さんであり、市音のみなさんの力であったとおもいます。youtubeで検索すればいろんな団体の演奏がアップロードされていますが、それらを超える説得力があり、じっと聴き入りました。

アンコールはガラリと雰囲気をかえて優しい曲です。シリアスな曲のあとにほのぼのとした音楽を組み合わせて、まったく違和感なく満腹満足で帰路につくことができるのは、さすが秋山さんの表現力です。

資金面の問題もありますしなかなか来ることはかないませんが、また、ザ・シンフォニーホールで、秋山さんと市音を聴けたらとおもいます。