大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
会所宮から階段を登ると、平坦な休憩場に到着します。その先に、久津媛神社の鳥居があります。
休憩場の案内板が簡潔にまとまっているため、再掲します。
景行天皇が熊襲征伐の帰りに豊後国日田郡に立ち寄った際に「ヒサツヒメ」と名乗る神が人に姿を変えて出迎え、郡内の様子を話したと『豊後国風土記』にある。日田の地名の由来となったとある。
一説には、邪馬台国の卑弥呼である、または、ほぼ同時期に同じような立場にあった女性が死後に神として祀られたものである、などといわれている。
會所神社
久津媛が祀られている會所神社は、現在、日田市大字日高74番地に鎮座している。仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・景行天皇・久津媛神が祀られている。創建は天安2年(858年)であるが、もとは、會所山(よそやま)山頂にあった久津媛神社に景行天皇と共に祀られていたものを山の中腹に新たに社を建てて合祀したもので、明治42年(1909年)に現在の場所に移された。
久津媛についてはwikiに簡潔にまとめられています。邪馬台国の卑弥呼とする主張があるようです。
オシロワケ(景行天皇)の別名は大足彦で、天之忍穂耳の血をひく新支配層側の男だったことを考えれば、九州王朝側に立つ姫君が卑弥呼のはずはなく、玉垂命の子供さんのいずれかか、その血をひく姫君だったと考えられます。
久留米市山川町 高良御子神社(坂本神社・王子宮) - 美風庵だより
三井郡大刀洗町春日 高良坂本神社(坂本宮) - 美風庵だより
案内板に従い歩いて行くと、しまいには藪に出くわします。蛇に注意が必要です。
さらに歩くと「景行天皇御遺蹟」の石碑があり、背後に隠れるようにしてお宮が見えます。
やっとたどり着いて、久津媛に手をあわせることができました。
(2021.06.12訪問)