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大刀洗町史を事前に図書館で読んだとき、驚きました。
この坂本神社の本社は近江国坂本山王社とされていたからです。比叡山の守り神 大山咋との関係があり、高良山の山下に坂本神社があって、ともに天台宗高隆寺に属していたとあります。
天台宗高隆寺とは、高良山にあった寺で、現在の御井寺の前身にあたります。
なにか複数のものがごっちゃになっている感じがするのですが、町史にこう書かれているということは、現地の住民がそう理解していた、ということです。
福岡県神社誌に記載されている御祭神 奴能伊呂姫(ののいろひめ)のほうから、考えてみるよりほかはありません。
奴能伊呂姫は、武内宿禰の次女とされる人物です。
古事記をもとに、武内宿禰の子供たちの名前を列記します。
なお、「*」が名前のまえについているのは、日本書紀に記載されていない者です。
1 波多八代宿禰(はたのやしろのすくね) - 波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖。
2 *許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね) - 許勢臣(巨勢臣)・雀部臣・軽部臣の祖。
3 蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね) - 蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣の祖。
4 平群都久宿禰(へぐりのつくのすくね) - 平群臣・佐和良臣の祖。
5 木角宿禰(きのつののすくね) - 木臣(紀臣)・都奴臣・坂本臣の祖。
6 *久米能摩伊刀比売(くめのまいとひめ)
7 *怒能伊呂比売(ののいろひめ)
8 葛城長江曾都毘古(かずらきのながえのそつびこ) - 玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣の祖。
9 *若子宿禰(わくごのすくね) - 江野財臣の祖。
久留米市山川町の高良御子神社や朝倉市下浦の王子宮の記載をもとに、玉垂命(=筑紫君)の息子たち(九躰皇子)を並べてみます。
1 朝日豊盛命
2 暮日豊盛命
3 斯礼賀志命
4 渕上命
5 谿上命
6 那男美命
7 坂本命
8 安志奇命
9 安楽応寶秘命
玉垂命の第7子は坂本命ですから、ちょうど古事記の伝承で武内宿禰の第7子を読み替えたら姫君だということになります。
これを根拠に武内宿禰と玉垂命はベツモノという主張もネットで見かけます。
しかし、考えてみれば日本書紀には、名前のまえに「*」をつけた人々は記載されていません。
もともと古事記も日本書紀も、崇神王朝を正当化するためにつくられた「ほぼ偽書・ほとんど偽史・書きたくないことは書かないプロパガンダ」であり、信用できないものなのです。機械的に当てはめても、どうにもなりません。
つまり、玉垂宮神秘書にあるとおり玉垂命に9人の男子が居るということはほんとうであっても、古事記をもとに武内宿禰が7男2女だったという主張のほうは、それがほんとうかどうかすら怪しいのです。
しかし、後世のひとは坂本から坂本山王宮(現在の日吉大社)と連想したかもしれませんが、ある時代までは、はっきりと過去を記憶していたはずです。
まず、鳥居の扁額に、しっかりと花菱が強調された木瓜紋が彫られています。花菱のなかの十字が大きいのは、玉垂命の武神としての性格を強調したもので、剣花菱紋と同じ意図がこめられています。そして本殿にもしっかり、花菱紋が打たれているのです。
となると、もともと現地のひとは、ここに祀られているのが玉垂命の御子息だとわかっていたに違いありません。しかし、崇神王朝に忖度して、玉垂命の存在は隠さなければならなくなりました。そのとき、古事記がウソだとわかっていて、まず祭神を偽装することにしたのではないでしょうか。社名を坂本宮と遺せば、わかる者はわかるという期待をこめて。そして、坂本山王宮で伝承を上書きしたのです。
ほとんど隠れキリシタンの潜伏に近い状況だったのでは?と考えてしまいます。
権力闘争の敗者を担ぐというのは、そのくらい大変なことだったのです。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻194頁
[社名(御祭神)]高良坂本神社(奴能伊呂姫命)
[社格]村社
[住所]三井郡本郷村大字春日字村園
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.14訪問)