美風庵だより

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久留米市山川町 高良御子神社(坂本神社・王子宮)


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ひもろぎ逍遥

高良御子神社(1)九躰皇子を祀る宮 : ひもろぎ逍遥

1月1日に、高良大社をお参りしました。行きは臨時バスを利用したのですが、帰路は王子宮のほうへ歩いて下山しました。

久しぶりに王子宮を訪問して帰宅後いろいろと考えてみたのですが、考えがまとまりません。再確認のため2月3日に、昼からお休みをいただいて、現地を再訪しました。

 

王子宮は、高良御子神社というのが正式な名称です。高良玉垂命の子9人を祀っています。

正面向かって右手には坂本神社があります。

こちらは明治43年(1910年)に、同じ町内の栗林集落にあったものを、郡役所の主導で玉垂御子神社境内に移転したとあり、元からここにあったものではありません。坂本命もまた玉垂命の子であり、その縁故で、整理されたものと思えます。

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現地を訪問してまず気づくのは、境内社が一段高いところに設けられている点です。

高良御子神社そのものは、眼下の旧山川村を見下ろし、筑後川を越えて筑紫野市宮地岳や阿志岐地区に向かう方向に建てられており、御祭神が過去に支配した地域を一望できるようになっています。

しかし、それだけでは参道向かって左手が一段高くなっており、境内社がずらりと並ぶ理由がたちません。どちらかと言えば、左手に神殿があってもおかしくはないのです。

一段高くなっている場所にはもともと、神社の御祭神よりも上位の神々が祀られていたと考えるべきなのです。その場所には大安社(大己貴、少彦名)、天満神社(菅原神)、太神宮(天照大神)、八幡宮仁徳天皇)、えびす様のお宮や石碑があります。えびす様については、もともと玉垂御子神社に奉仕していた家の屋敷神であったとされており、他と出自がことなります。他についても、どこまで御祭神が受け継がれているかは不明です。

推測が許されるなら、仁徳天皇を祀る八幡宮が、カギとなるでしょう。

仁徳天皇は一般手的には応神天皇の子とされていますが、赤貧はおそらく違うと考えています。玉垂命の子です。

すると、玉垂命の子を祀る神社の境内に、玉垂命の子を祀る石祠があることになります。どうも座りがよくありません。玉垂命の子供9人を祀る神社ではなく、仁徳天皇と坂本命を抜いた7人を祀る神社なら、帳尻が合うのですが……。

となると、この八幡宮は、おそらく玉垂宮だったのではないかと思えるのです。

すると、その横にある太神宮は、天照大神ではなく、妃である神功皇后を祀る聖母宮か、神功皇后の妹で、玉垂命が道主貴と称えた田心姫を祀るお宮であった可能性が出てきます。仮に田心姫なら、大己貴と再婚した際の連れ子であるえびす様(少彦名)が近くに祀られているのもおかしくありません。

唯一浮くのは天満神社だけです。しかし、これも菅公を祀る天神様ではなく、大幡主への祭祀が上書きされた結果と考えれば、菅公と違い、そこまで違和感はなくなります。

現在、私たちは石段を上がって正面にある高良御子神社がメインと考えています。それで間違いではないのですが、決して正解でもありません。あくまでも支配地を一望できる場所に社殿が置かれているというだけで、彼の有名な祖先が祀られた正面向かって左手の境内社群こそ、真の上座なのです。

玉垂命の子のうち、坂本命だけべつのお社で祀られているというのも、不思議な気がします。
それだけ坂本命は特別な存在だということです。どう考えるべきなのでしょうか?

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[福岡県神社誌(抄)]中巻181頁
[社名(御祭神)]高良御子神社(朝日豊盛命、暮日豊盛命、斯礼賀志命、渕上命、谿上命、那男美命、坂本命、安志奇命、安楽応寶秘命)
[社格]村社
[住所]三井郡山川村大字山川字王子山
[境内社(御祭神)]天神社、天満神社若宮八幡社、大安社、西坂本神社
[摂社(御祭神)]天満神社
[末社(御祭神)]天満神社、高木社
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(2020.01.01訪問/2020.02.03再訪)