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福岡県神社誌によれば、明治6年(1873年)に村社に定められた時点の御祭神は菅公のみで、あとの神様はその後、同じ乙隈地区の無格社を合祀したものです。現地を訪問してみると、社名が削り取られた石祠が3つありました。それがおそらく合祀された神社なのでしょう。
神社めぐりをはじめた最初の頃であれば、これが何かを簡単に理解することはできなかったでしょうが、やっと最近になって、捨てようにも捨てきれず、境内に合祀後の石祠がそのまま並べられている事例がありうることを理解した次第です。
どちらかと言えば赤貧が興味をもったのは、猿田彦(山幸彦)と天細女(あめのうずめ)が並んで彫られている石碑が気になります。このふたりは夫婦だった時期があるので、こういうものが存在したとしてもおかしくはないのですが、あまり旧三井郡でみた記憶がなく、新鮮でした。
もう一点気になったのは、大正11年(1922年)に大字乙隈字外古野にある宮地嶽神社を合祀したと記述があるのですが、その宮地嶽神社から引き継いだ御祭神は、なんといわゆる宗像三女神(湍津姫、田心姫、市杵嶋姫)なのです。あくまでも「宮地嶽」で、宗像ではないのですね……。謎です。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻201頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神、鳴雷神、軻遇突智神、多紀理姫命、多紀都姫命、市杵嶋姫命、景清霊神)
[社格]村社
[住所]三井郡立石村大字乙隈字内畑
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.12.08訪問)