松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年1月1日の日録

「砂の器」

東京・蒲田にある国鉄の操車場内で殺人事件が発生。しかし被害者の身許が不明で捜査は難航。迷宮入りかと思われた矢先、被害者が殺される直前に或る男と会っていたことが判明した。ふたりの会話のなかで交わされていた「カメダ」という言葉。地名か?人の名か?事件解明のために奔走する刑事、今西(丹波哲郎)と吉村(森田健作)は偶然、新進気鋭の天才音楽家、和賀英良(加藤剛)と遭遇する。そして、やがて事件は思わぬ展開を見せ始めるのだった…。(C)1974松竹株式会社/橋本プロダクション

砂の器 デジタルリマスター版

商品の通販でお世話になっているお店のかたから「正月の御神酒に」とお酒をいただきました。

仁多米コシヒカリ純米吟醸 花酵母720ml | 酒蔵 奥出雲交流館

いただいたお酒のラベルを見ていると、亀嵩の文字。そう「砂の器」です。

(※解像度を落としています)

亀嵩駅(かめだけえき)は、島根県仁多郡奥出雲町郡村にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)木次線の駅。
松本清張原作の映画『砂の器』で一躍有名になり、この駅付近の温泉には多くの観光客が訪れています。 

木次線利活用推進協議会亀嵩(かめだけ) |

これもなにかの縁と「砂の器」を、ひさしぶりにamazonのレンタルで観ました。48時間で300円です。

新進気鋭の作曲家として有名になり、さらに元大蔵大臣令嬢との結婚に、海外での活躍、著名人との様々な交流……。出世街道をばく進中の本浦秀夫改め和賀英良の前に、過去を知る三木謙一が現れます。千代吉の存在があかるみに出るのをおそれ、口封じに殺害してしまいます。原作にはない「(余命いくばくもない父親になぜ会えないと言い張るのか!と主張し)首に縄つけてでも引っ張っていく!」というセリフの追加が、動機を補強します。

やっとたどり着いたものを失いたくなくて、親が存命なのを知り、親子の関係を知る大恩人に手をかける。

そして千代吉の「こ、こんなひと、知らねぇっ!」という叫び。写真から立派になった息子のいまを察し、知らぬと言い張る親の愛。

これでも裁かねばならぬ、裁かれねばならぬのだ、という重さに、正月早々ひさしぶりに泣けてきます。

この映画、最初観たときから感心したのは、最後の令状をもって埼玉会館に向かい、終演後の観客の拍手に気づき笑う加藤剛を丹波哲郎と森田健作が逮捕に向かう場面がまず先にあり、そこに向かってすべてが組み立てられていることです。この場面を成り立たせるための「殺す動機」が必要で、そして、周囲からの迫害や差別(いわゆる「巡礼シーン」)があってこそ、絶頂から奈落の展開が生きてきます。

何年かぶりでしたが、何度も観て話は知っていても、よいものです。

このあとのテレビ版(そしてじつは原作そのもの)がここまでの説得力を持たなかったのは、「殺す動機」とそれを知るひとを口封じする必然が弱かったからで、和賀英良が「栄華から転落したくない犯罪者」の域を超えられなかったから、とも言えます。

傑作ですね……。

 

1日の記録。

明けましておめでとうございます。

「砂の器」をとおしで2回、後半部分をさらにもう1回観て、夜明まえから泣いてしまいます。

高良山に登る予定です。最初はそのあいだおせちそのものをもう一回お供えしようかと思いましたが、気温が高過ぎます。帰ってくるまでに傷むかもしれません。そのため、昨日うけとったおせちからいくつか皿にとり、あさりの佃煮と、昨日いただいた奥出雲の純米吟醸、お屠蘇といっしょに並べます。

正月くらいしか使わない、伽羅のお線香をひさしぶりに開封しました。

年始に数センチずつ折ってつかうだけなので、ほとんど減っていません。

いずれもすでに廃番で(内容を見直した後継商品はあります)、当時、左が定価5万円、右が20万したものです。右はいつ購入したか記憶がさだかではありませんが、廃盤になると知りあとであわてて購入した左のほうには、2014.8.19とあります。ということは、両方とも最低10年は経っています。

むかしはどこにこんなカネがあったんでしょうね……。いまのすっかり落ちぶれた身からは想像もできません。

太いほうが5万円のほうで、細めで短いほうが20万円のほうです。不思議なことに高いもののほうが、香りに冬の厳しさを感じます。安い(と言っても定価5万ですが)ほうが、少しだけ華やかです。

高良山からもどってきたら、酒といっしょに香りを楽しめるよう、準備だけしておきます。

 

高良山に登る。

2日、ひさしぶりに高良山に登ってみた。 - 2023年12月3日の日録 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

高良山に登る。 - 2023年12月24日の日録 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

高良山に登る。 - 2023年12月29日の日録 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

ここ1か月ほど、いろいろなコースで高良山に登り、高良大社(高良玉垂宮)にお参りしています。

1月1日、例年どおり今日も高良山に登ります。

今回はわかりやすいよう、行きは赤、帰りは青で色分けしてみました。GPSログで約9kmでした。

12月29日に書いたとおり、奇門遁甲の時盤をみると、1月1日の午前中にはなかなかよい時間帯がありません。月に何度も通っているのだからそこまで方位にこだわることはないと思いますが、なるべくマシな時間帯を選ぶのにこしたことはありません。

今回は、御井町バス停からスタートです。バス停のすぐ先に、一の鳥居があります。

今回は、御井寺の裏手からお大師堂に向かい、吉見岳コースで高良大社を目指します。

丁寧に手入れされた立派な道を登っていくと……

29日にも来たお大師堂にやってきました。手を合わせて今日の安全をお願いします。

吉見岳の展望台に到着しました。何組か休憩されているかたがおられました。

雲から斜めに滝がかかっています。むかしはこれがなにかわからなかったのですが、或るかたに雨雲だと教えてもらいました。風があると真っすぐに落ちず、斜めに空から水しぶきがかかるように、見えます。

祈願の太鼓や、無病息災を願って獅子頭が歯を打ち鳴らす音がします。

振り向くと、高良大社の展望所が丸見えです。これなら、音が伝わってきてもおかしくありません。

高良山を歩いていると、むかしはちゃんとした石段だったんだろうな、と思える残骸に出くわすことが多々あります。高隆寺の寺跡に出ました。現地案内板のある辺りに、鐘楼があったとのこと。廃仏毀釈で山中の僧坊(30以上あったとのこと)がことごとく打ち壊され、寺への参道が、私たちがとおる登山路に転用されて今に至ることが、よくわかります。

落ち葉だらけでほとんど自然に帰りかけていますが、遠目で撮影すると、元は石段だったのがよくわかります。

現行の直線石段は怖いので、車道側から迂回して、境内に入ります。

さすが1月1日だけあって、境内は人であふれています。参道脇から久留米市街を撮影し、社殿を回廊の外から撮影してみました。

展望所の自販機で飲み物を買いもとめ、休憩します。

29日にまったく気付かなかったのですが、案内板が正月向けに張り替えられています。仮設の賽銭箱越しに、扁額を撮影してみました。

あまりにひとが多すぎるので、いったん社殿をはなれて、さきに奥宮にお参りに行くことにします。

尾根コースのてっぺんには、杉ノ城(住厭城)があります。有明海を越えて佐賀や長崎方面が見えます。

奥宮の手前で、尾根コースは車道と合流します。

奥宮の鳥居までやってきました。

奥宮に角瓶がお供えされていました。セオリーだと日本酒ということになるのでしょうが、正月にちょっと趣向のちがうものをお供えするセンス……いいですね。私もかくありたいものです。

来た道を戻っても参拝客でいっぱいなので、敢えてつつじ公園側に向かいます。

つつじ公園を横切り休憩所で休息していると、先日、テーブルに乗ってきた猫は、外でひなたぼっこしていました。

別のテーブルでは、おそらく中学生くらいの女の子が2人で話しこんでいます。よくみると、先日見かけなかった猫が2匹、周囲をうろついています。おっさんよりおにゃのこがいいのですね……当然だけど。猫にかるい嫉妬をおぼえつつ、つつじ公園の駐車場へ向かいます。

甘木方面を撮影してみました。古処・屛・馬見と、その右側に英彦山がなんとか見えます。

約1時間、山中をうろついて、車道から高良大社の境内に戻ってきました。授与所で一刀彫を授与してもらい、出店で豚バラ串を買って、神籠石コースで下山することにします。帰りに大学稲荷神社に立ち寄るとなると、神籠石コースを利用するのがてっとりばやいためです。

神籠石に腰かけて、出店で買った豚バラ串をいただきます。

神籠石コースを下っていくと、大学稲荷神社が見えます。

大学稲荷神社がみえてきました。

境内の三九郎稲荷神社、力稲荷神社、三四郎稲荷神社、坂を下って(通称)小学稲荷と巡拝後、大学稲荷神社にお参りします。

車道は車がいっぱいで危険です。南谷水門のほうに向かいます。

すべったら靴がびちょ濡れだな……と思っていたら、猫の鳴き声がします。みると、2匹こちらを監視しています。

通常だと麓から高良大社まで車で5~6分の距離なのですが、今日は渋滞しています。臨時バスを以前利用したとき、90分ほど閉じ込められました。午後2時半で参拝のピークは過ぎているはずですが、それでもこの状況です。

放生池の前をとおりかかりますが、今日はさすがに麩を買ってきていません。集まってきた鯉に「今日はなにも持っていない。また来る」と話しかけると、歩いて下山中の参拝者が(馬鹿?基地外?アンタッチャブル?)という目でこちらをチラ見してきました。

そのまま御井町バス停でバスを待つと、高良大社から下山してきた、すし詰めの臨時バスに乗ることになってしまいます。高良下宮社で、無事下山できたことに感謝して(臨時バスと経路が違う)ひとつ先のバス停まで歩きます。

紫山住宅前バス停にたどり着きました。15時15分の西鉄久留米行きに乗って、駅まで戻りました。

さすがに豚バラ串だけでは腹がもちません。西鉄久留米駅近くのモスバーガーで、フィッシュバーガーとポテトのセットをいただきました。

帰宅して、干支の木彫りを開封してみました。手元にある12年前のものとだいぶデザインが変わりました。全体として丸く、可愛らしくなりました。作りての世代交代でしょうか?

例年、新しい干支の木彫りをいただいたら、12年前のものは古札納所に後日持参していたのですが、場所がないわけではありません。

これだけデザインが変わると、どうも手放すのが惜しい気もします。場所があるうちは、新旧両方並べてもよいかもしれません。