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ゼンリンに神社名の記載がなく、googleマップで発見し、立ち寄ってみました。
民家があり、国道から視認することができません。ほぼ離合不可能な道を数百メートル走って、到着です。
(略)
清祀殿の天照大神宮はご存知の方もいると思いますが、採銅所近くの天照大神宮を訪れる方は少ないのではないでしょうか。香春駅に設置の案内板には、以下のように書かれていました。天照大神宮
神功皇后が仲哀天皇に祟る神を知るため、神託を聞いたと伝えられているどうしてこの場所にこのような伝承があるのか不明ですが、興味深いことだとは思います。日本書紀には祟る神についてどのように書かれていたのか巻第九を読んでみます。
皇后、吉日を選びて、斎宮に入りて親ら神主と為りたまふ。即ち武内宿禰に命(みことのり)して琴撫かしむ。中臣烏賊津使主(なかとみのいかつのおみ)をして審神者(さにわ)にす。
「先の日に天皇に教へたまひしは誰(いづれ)の神ぞ。願はくば其の名をば知らしむ」とまうす。七日七夜にいたりて、乃ち答へて曰はく、「神風の伊勢国の百傳(ももづた)ふ度逢縣(わたらひのあがた)の拆鈴五十鈴宮(さくすずいすずもみや)に所居す神、名は撞堅木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と。(後略)
「さにわ」語注ー皇后の神託を請い聞き、意味を解く人とあります。神功皇后が聞いた神託では、祟る神は伊勢の五十鈴の宮に居ます神として長いご神名が続きますが、内宮の荒祭宮の神のことです。この神を西の伊勢と呼ばれる山口大神宮では、瀬織津姫神と記載しています。
(略)
一部、赤字で強調させていただきました。
中臣烏賊津使主とは、崇神天皇のことです。香春から宇佐への流れを知るには、天之忍穂耳(海幸彦) - 大山咋(大物主) - 崇神天皇(中筒男) - 応神天皇 - 現皇室(+藤原氏)の系譜を念頭においておく必要があります。
それにしても中臣烏賊津使主(崇神天皇)は、なぜ、仲哀天皇(仲足彦)の祟り神を伊勢・内宮荒祭宮の神としたのか、この点は疑問として残ります。
また、仲哀天皇が行宮をかまえた香椎ではなく、この採銅所で御神託?という点も不思議です。いちおうこちらについては、ここが崇神天皇に縁が深い土地であることを考えるとき、彼の足跡を残すための記念建築物としてつくられたのではないか、という仮定は出来るでしょう。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2020.09.12訪問)