松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年9月21日の日録

アノミーの話(前)

アノミー(anomie)は、社会秩序が乱れ、混乱した状態にあることを指す「アノモス(anomos)」を語源とし、宗教学において使用されていたが、デュルケームが初めて社会学にこの言葉を用いたことにより一般化した。デュルケームはこれを近代社会の病理とみなした。社会の規制や規則が緩んだ状態においては、個人が必ずしも自由になるとは限らず、かえって不安定な状況に陥ることを指す。規制や規則が緩むことは、必ずしも社会にとってよいことではないと言える。

エミール・デュルケーム - Wikipedia

「明治維新以降、天皇を中心とした新体制づくりにより列強の一角までのしあがった日本は、敗戦で柱をうしなって国民全体がアノミー化した」と主張したのは、故小室直樹先生でした。小室先生の理解は大枠としてみれば大正解なので、私のような先生のファンがあれこれ付け加えることはありません。数年おきにお弟子さんたちの尽力で有名作が復刊されつづけていますから、それを直接読んでいただければよいことです。

「のどの小骨」な話(前) - 2023年9月13日の日録 - 美風庵だより

「のどの小骨」な話(後) - 2023年9月14日の日録 - 美風庵だより

先生は「社会全体がアノミー化した」という分析をのこしてお亡くなりになられましたが、生き残った私たちは「ではどうすればよいのか?」をかんがえていかなければなりません。

指をくわえてボーっと眺めているあいだにも、病はさらに進行していきます。

南方熊楠「神社合祀に関する意見」 - 2023年7月9日の日録 - 美風庵だより

以前、南方熊楠先生の論考について触れました。

「神道国教化で祭祀にかかる費用は国が面倒をみる」と大風呂敷をひろげたわりにカネがなかった明治政府は、助成対象とする神社を絞り込むため徹底的な再編集約(合祀)に着手します。とくに日露戦争後、軍費負担でいよいよカツカツだった明治末期は、いまの我々の目からみれば破壊的なレベルで再編が繰り広げられました。

拙見をもってすれば、従来神恩を戴き神社の蔭で衣食し来たりし無数の神職のうち、合祀の不法を諤議せるは、全国にただ一人あるのみ。伊勢四日市の諏訪神社の社司生川鉄忠氏これなり。

南方熊楠 神社合祀に関する意見 (aozora.gr.jp)

この件については偉大過ぎる先行研究があり、すでにお読みのかたも多数おられるとおもいます。しばやん氏の言うとおり、合祀に協力すれば給料がUPする仕組みがありました。現在、国家神道(神社本庁教)は、さも聖職者として伝統祭祀を守ってきたというイメージを植え付けることに成功していますが、実際には反対した者は一人。あとはカネで動いた人間が多数だったわけです。

もう一点つけくわえるなら、戦前は天皇無答責であったことも考慮すべきでしょう。

統治権の行使による結果責任が天皇に及ばないように、国務大臣等による輔弼の制度が設けられる根拠とされた。
帝国憲法の定めた国家のありようは、天皇が国民の協力を得て国家を統治する「君民共治」であり、その側面から解釈すると、本条は統治権に関わる立場としての国民(特に、国務大臣をはじめとする輔弼者)に対する憲法擁護義務であるといえる。

大日本帝国憲法第3条 - Wikipedia

つまり天皇の名で決定されたものは国民は守らなければならないし、間違っていても文句を言えないわけで、よほどしょっ引かれる覚悟がないかぎり、反対どころではなかったわけです。

少なくとも国家神道下の神職は断固として伝統文化を護り地域を支える聖職者というより、行政府の役人か宮仕えのサラリーマンに近い存在だったということができ、いまの腐りきった神社本庁教の姿も、その末裔とおもえば納得がいきます。

また、書き写して引用するのもおぞましいのでさきに紹介したしばやん氏の先行研究をお読みいただきたいのですが、廃仏毀釈という文化破壊活動により、多数の仏教芸術が海外に流出し、また焼き討ちに遭いました。

これでもまだ国家神道(神社本庁教)の宣伝を信じて、神道は偉大であり明治維新は素晴らしいと美化したいのであれば止めはしませんが、私はこれを知ってしまったいま、手放しで礼賛するほどのメンタリティは持ち合わせていません。

私もお金いっぱいくれればいつでも過去の国家神道批判ぜんぶ消して転びます。どうぞ目障りなかたはご連絡ください(^^♪

「ジャニーズ事務所やビッグモーターは経営者がわるいのであってタレント個人(社員・末端)はわるくない」という論調は、「その経営者に従う兵隊がいたからとんでもない経営者が生きながらえた」という当たり前すぎる話を無視しています。基本的には共犯か、ほう助の罪と認識して間違いありません。国家神道が主導した文化破壊活動も構造は同じです。

こういう闇歴史に関する資料を歴史家や社会学の先生から教わることは多かったものの、身近な宗教家のくちから出たことはありません。自らが政治闘争の産物であり、けっこう不浄な出自だとしょうじきにくちにするひとがいないのも、当然といえば当然です。知ってたら幻滅して、そんな職業になりたいとは思いません。

むろん、これを理解したうえで、それでも残る過去の記憶をさがすためにお宮巡りをしたり、ふるい歴史の本を読むのは、私自身励行していることですから、否定はしません。かりに権力によって捻じ曲げられた姿であったとしても、その地域に残る祭祀そのものは偉大であるからです。

 

近代国家としての体裁をととのえるため、国家神道化は進められていきました。

仏教関係者としてはじめて渡欧した島地黙雷は、徹底的な反キリスト者となって帰国し、キリスト教にかわる柱としての仏教再生に取り組みます(ちなみに彼の実子は洗礼をうけキリスト者となります)。この仏教勢の巻き返しと、神道内部での主導権争いの激化で出雲系勢力ほかが排除され、結果として神宮が非宗教としての国家神道体制構築の中枢となっていくのです。

最終的に体裁が整うのは昭和初期ごろで、皇居遥拝をはじめとする諸制度も整備されていきました。

覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。

(略)

ある時点の草案には靖国神社を廃止する記述、伊勢神宮を皇室の私的神殿として宮内庁管轄下に残す記述があったが、いずれも最終的には採用されなかった。

神道指令 - Wikipedia

これがひっくり返るのはご承知のとおり敗戦後、GHQの「神道指令」が発せられたためです。

明治維新から数十年、世代にしてせいぜい2~3世代でしょうか。

神仏習合時代のプロトコル(手順、儀典、作法)が破棄され国家神道体制が完成をみたころに敗戦となり、こんどはGHQの神道指令で、再度、民衆は宗教観の転換を迫られることになります。

こんな短い期間で2回も大転換をやるから、民衆の宗教観は大混乱してしまいました。

 

「機能不全」というか。

youtu.be

自国が名指しで批判されているにもかかわらず、ロシアのポリャンスキー国連次席大使がスマホの画面を見せると、隣に座る女性は、大笑い。ポリャンスキー国連次席大使は記者に「ゼレンスキー氏が話しているのに気づかなかった」と答えたそうです。
演説中の会場を見てみると、他国も空席が目立つのがわかります。新興国の中には、ウクライナをめぐるアメリカとロシアの対立に巻き込まれたくないと、出席をためらった国もあったものとみられます。

侵攻開始から半年ほどしかたっていなかった去年は、特例でビデオ演説が認められたゼレンスキー大統領。その演説の時間に合わせて、各国が続々と集まるほどでした。
ポーランド・ドゥダ大統領:「今日の被害者はウクライナでも、明日はどの国も被害者になり得ます」

今年、ポーランドのように“団結”に応じる国も多くいたのですが、常任理事国の4カ国の首脳は不在。欠席理由ですが、フランスのマクロン大統領は、国内政治に忙しく、国連総会デビューとなるはずだったイギリスのスナク首相は「来月予定している保守党の党大会に備えるため」とも報じられています。

193カ国が参加する国連総会に、あまり価値は見出されていないようです。

異例の首脳欠席・目立つ空席…ゼレンスキー氏 対面演説で団結訴えるも“結束”程遠く(2023年9月20日) - YouTube 

わたしが学生の頃からずっと言われつづけていたことですが、戦勝国側である「United Nations(連合国)」を「国際連合」を意図的に訳したことが、大多数の日本人に勘違いを引き起こしています。マスゴミもそれを修正しようとはしません。五大国による国際支配体制という枠組みが戦後ずっと続いているからこそ、背後であやつる五大国同士のいがみ合いは、なすすべがないのです。

こういう報道って、どうなんでしょうね?わざと馬鹿のふりをするにしても、それでいったい日本人にどういう利益があるのでしょう?わからん……。

 

21日朝の記録。

さすがに袋めんだけを数日つづけるのはわるかろうと、冷凍枝豆を具にしてみました。

つくってすぐ書斎にはこび、そのあとベランダの鉢植えのようすや洗濯のようすを眺めにいったら時間がおもった以上にかかってしまい、すっかり伸びています。

伸びたラーメンはわびしい人生の味がして、これはこれで乙なものです(泣)。