もうそろそろ追いかけ回すのをやめてはどうか。
《両殿下、眞子内親王殿下(当時)、佳子内親王殿下で相談された結果、この経費を削減する目的で、眞子内親王殿下(当時)ならびに佳子内親王殿下が、分室(旧御仮寓所)に引き続きお住まいになるよう計画を変更することとなりました。結果的に、眞子内親王殿下(当時)はご結婚になったため、現在、分室(旧御仮寓所)にお住まいになっているのは、佳子内親王殿下お一方です》(宮内庁HPより)
御仮寓所は、改修中の秋篠宮ご一家の“仮住まい”として約9億8千万円の工費で建設された。
「改修工事の終了後は“職員の事務室や応接室、収納室などとして活用される”と説明されていたのですが、今年1月に佳子さまが御仮寓所での生活を続けられることが報じられ、物議を醸しました。それから5カ月もたって、宮内庁がようやく“佳子さまの独居”を公式に認めたわけです」(前出・皇室担当記者)
わかりやすくあえて失礼な書きかたをしますが、とくに他意はありません。
学校で日本国憲法をならい、国民主権、皇室は税金で飼っているひとたち、と教わるようになって70年以上経過しました。
こうやって箸の上げ下ろしからなにやら報道の対象とされ、可哀想なかぎりです。
それこそ「ご成婚」のときは、アングラ雑誌がむかしの男を実名あげて書き立てたりとやりたい放題でした。秋篠宮家の御子息も、たしかあと2年もすれば成人になられます。結婚もできます。当時よりはるかに情報統制はむつかしいでしょうし、なかなか嫁のなりてはいないかもしれません。
皇室典範で男子が後継となることが決まっていますから、いまのところ将来の天皇は現皇室から出ることはなく、秋篠宮家から出ます。結果、いわば「一代限り」とはりきってお勤めを果たされている方々と、次世代のお世継ぎ抱えて張り切る母親と、この母親にしらけて離反する娘2人という、あまり見たくない状況が週刊誌の記事を追うだけでわかってしまいます。
ここが生身の人間を偶像化するいちばんのむつかしさです。石像や木像なら意思表示しませんから、まわりが勝手に拝めばそこらの石でも御神体となります。「王権神授説由来の神性は否定するが、統合の象徴として祀り上げはする」という、象徴天皇制の立て付けに無理があると言わざるを得ません。
明治憲法下で皇室財産であった森林。1889年木曾官林など各地の国有林から約140万haを移管したのが初めで,1890年には,50余ヵ所,約350万haに達し,その収益は膨大で皇室費用の大半を支弁していた。第2次大戦後,皇室財産解体によりすべて国有林に移管された。移管時には約132万haを有していた。
週刊誌などの記事をながめるかぎり批判の根底は、彼らが「税金で食わしている身分」という点なので、敗戦時に国家がとりあげた皇室資産を返上し、みずからの資産運用で食っていただくのが、批判をかわす最善の道です。
じっさい、外国の王室は個人領があります。
そういう発想の転換をしないと、このまま「税金で食わしている身分」へのやっかみ、ひがみ、批判だけをつづけていれば、嫁のきてもなく絶えるでしょう。
「無条件降伏」以外譲ろうとしない米国、「国体護持」が認められなければ徹底抗戦しかないとする日本、両者相容れぬ緊張状態の中、在スイスの米OSS支局長アレン・ダレスの下で、とある諜報網が作られた。日本の陸・海軍武官、公使、国際決済銀行のスウェーデン人、亡命ドイツ武器商人……両政府の間を取り持ち暗躍する陰の主役達を描く。
終戦時、天皇制存続の一点のみに集中して議論が行われた経緯は、上掲の有馬哲夫さんの著作などを読んでもらうとよいとおもいます。そこには御聖断などというつくられた美談はありません。むしろ、このテの美談に今日まで皇室を生かす力があったというわけで、そちらのほうが驚異的ともいえます。
とにかく天皇制存続のために当時かんがえた仕組みと合意(米国は政体の選択について介入しない。天皇制廃止を指示せず、政体は日本国民の選択に任せる)が、結果として存続の危機を招いている(「天皇制ばなれ」がすすみバッシング記事だらけ)状況をみると、根本からの見直しがないと、成り立たなくなります。
政治から一歩さがり、京都にお戻りいただくのがいちばんです。
東京の土地の資産運用でメシ代稼ぎつつ、神道祭祀の家元に専念されるのが、いちばんよろしいのかな?という気がするのですけどね。
皇族に嫁を出したりして不逮捕特権を享受している政治家一族とか、そういう連中が猛反対するでしょうから、利権がらみで実現性ゼロでしょうが。
17日の記録
朝6時ごろに起床して、15日に愛知県を訪問したさいの「神社めぐり」のつづきを作成しました。2024年3月21日から28日の予約投稿分です。行ったときの印象を忘れぬうちにまとめ、ひととおり書き終えたら10時になりました。
自宅の片づけをしたあと、実家にむかいます。
今回の大雨災害で崩落した現場写真を、地元市役所提出用にまとめるためです。
https://www.dydo.co.jp/products/detail/1069
途中の自販機で「復刻堂コーラ」を買い求めました。強炭酸が流行のご時世に、かなり炭酸ひかえめで、しかも砂糖由来のコクのある甘さがあります。缶のデザインからはもっとガツンとくる味かとおもっていただけに意外でした。この意外性も売りなのかもしれません。
遠賀川上流部、むかし分校があった辺りを撮影してみました。
ここは大雨のたびに何度もえぐれて崩れた場所でした。子供のころは両側が竹林で暗く、なんともいえぬ不気味な場所だったのですが、護岸工事を繰り返しているうちにすっかり昔の面影はなくなりました。
もう一枚は子供のころは野菜畑だったところです。
「むかしは自宅用にここで野菜をつくっていたが、家族が減ってそんなに野菜畑が要るわけでもなく、減反で遠くの田んぼをやめて、家の近くのここを田んぼにした」とのこと。
田舎もすこしずつ風景が変わっています。