・本文(2023.05.19掲載)
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社殿正面向かって左側が恵比須神社、右側が菅原神社となっています。
菅原神社
御祭神 菅原道真卿(たぶん郷は間違い)
正暦年中(990~995)大宰府より分霊を勧請して社殿を建立、建久及び宝暦に再普請を行った。毛利家の崇敬が殊に厚く、由緒ある鎮守で俗に長門天神様と称えられています。昔の社殿は戦災で焼失、のち、再建立の拝殿は亀山八幡宮より移設し施設を整えて、昭和二十七年九月十五日宗教法人となり、亀山八幡宮の末社として宮司の司祭となっています。
恵比須神社
御祭神 事代主の命
素倉に鎮座ましましていました。安政4年菅原神社に相殿とし、商家の崇敬を集めた。商社の栄えた昔は大売出しを行い又は斉付といって神前で借応をし膳は強飯数の子紅白餅で神酒を吸みしめましようと掛け声勇ましく手を叩く。膳の紅白餅には景品札が入れてあり、一等は純金の戎像以下順次景品があり、この行事は夜明けまで続いた。
暁詠山(ぎょうえいざん)
菅原道真卿(たぶん郷は間違い)が九州へ御下向の時、この山に登られ給い、早鞆の清潮に、憂愁を慰め給い、一首をお詠みになられた。この故事を偲び暁詠山というようになった。
盆踊りなどにつかう舞台のうえに看板がありますが、おそらくこの裏手の山が暁詠山という意味ではないようです。
飛梅があり、
奉納されたフグ像のうしろから海がみえます。
菅公腰掛石が境内のすみにあります。ただ、この先は崖のように急で、おそらく社殿を建てる際に、この場所に動かしたものとおもえます。
(2022.07.24訪問)
・追記(2023.05.20)
「自宅が映っている」というコメントをいただきましたのでおそらく該当とおもわれる場所を加工しました。なお、5月19日掲載分(下関市南部町)と5月20日掲載分(神奈川県川崎市)の両方にほぼ同一文章でコメントいただいております。どちらの修正指摘かわかりませんので、両方加工します。