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いまから約三百四十年前の寛文元年(一六六一)九月十八日に、城外東部にある土橋八幡宮から勧請開元された旧郷社です。
むかしは、土橋八幡宮を旧八幡(ふるはちまん)、この社を新八幡とも言っていました。いつのころからか、 この社は宮野町八幡宮とも呼ばれるようになりました。
江戸初期、田中氏が福島城主だったころの城下に祇園社が二つありました。前城主の筑紫広門が肥前田代から勧請した古松町の祇園社と、前の章で述べた宮野町の祇園社です。両社とも個人と小人数により勧請された社でしたから、城下全住民の氏神にはなっていませんでした。
当時、すでに城外東部に土橋八幡営が鎮座していましたが、この社は稲富村と福島村の氏神で、新興の福島城下町民の氏神ではありません。おそらく、城下の人たちはせん望の眼で、この八幡営の祭礼などをながめていたことでしょう。
元和七年(1621年)に領主が有馬氏に代わりましたが、そのころ既に福島城は廃城になっていました。しかし城下の住民の生業が止まったわけではなく、とくに創成期の福島町人の活動は盛んなものでした。やがて、いくつかの町がふえて庄屋・別当などの役職が置かれて町の組織が整うと、町民は早速氏神の勧請を思い立ちました。
このとき、彼らは何のためらいもなく、 現世利益をもたらす九州土着の八幡神を選びました。しかも、この八幡神はすぐ近くに鎮座していました。土橋八幡宮です。
寛文元年(1661年)九月十八日、新興の福島町民は土橋八幡宮から神を迎え、氏神福島八幡宮を開元しました。
一の鳥居をくぐった先に坂があり、駐車場となっています。元は、堀の堤を利用したものとおもわれ、そのまま社殿に向かうことができます。
二の鳥居や楼門をとおるのは、徒歩で参拝するときです。
風鈴や花手水が、八幡さまらしくなく乙女チックです。
狛犬?ハスキー?がお出迎えです。社務所にお賽銭箱が置かれてます。
現在、社殿は改修工事中です。
改修工事終了後に、あらためて訪問したいとおもいます。
一の鳥居脇にえびす様があります。もとは町内で祀られていたものを、境内に移転したものとありました。
福岡県神社誌:中巻278頁
[社名(御祭神)]八幡宮(応神天皇、長息足姫命、武内宿禰)
[社格]郷社
[住所]八女郡福島町大字本町字東宮野町
[由緒](略)
[境内社(御祭神)]日吉神社(大山咋命)、松尾神社(大山咋命)、天満神社(菅原神)、秋葉神社(軻遇突智命)、恵比須神社(事代主命)、素戔嗚神社(素戔嗚尊)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.14訪問)