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「そらさやいなおじんじゃ」とお読みするようです。お稲荷さんだとばかり思って近づくと、ここもなんと三つ盛亀甲紋です。
空鞘稲生神社御由緒
当社は宇迦之御魂神・宇気母智神・加和久産巣日神 の三柱を主祭神として奉祀している。
当社の縁起は甚だ古く、天文年間(西暦一五三二年頃)の御創建という。
毛利輝元公が広島城郭を築城する以前より此の地 に大小の二社があり、大の社を「空鞘大明神」小の社を「彦山明神(現在の幸神社)」と唱えた。(略)
また「空鞘」の名は 社頭の松の大木に刀の鞘のみが掛って居た事によりその社名となったと伝えられており 昭和40年(1965)の町名改正まで神社周辺は空鞘町と称していました
なかなか珍しい名前だと大辞林をひくと「外見と中身が違うこと」などという、まにうけてしたり顔で書いたら地元のかたから訴えられかねない説明がでてきます。精選版日本国語大辞典だと「そとども」へのリンクがあり、どうやら船の一部のようなのです。
外艫(そとども):戸立より後の部分、船体後の流れを整え抵抗減少と舵の効きを良くした
社殿の前にはこいのぼりがあり、幟旗をよくみると、上は四ツ目菱か桛紋のようにもみえよくわかりませんが、下は三階松です。
宮地嶽神社 – 宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)の公式ホームページです。福岡県福津市に位置する当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。
九州王朝で使用される紋章で、はやい話、高良玉垂命となるまえの藤大臣阿部相凾とその妃神功皇后、そして3人の子を祀る宮地嶽神社の神紋です(ただ、松の重なり方が異なるようにもみえます)。
松の木に刀の鞘がかかっていたから空鞘なんてとんでもない。
九州からやってきた海の民族が根をおろした場所ではありませんか。
彦山明神というのもそうなると元は彦山権現だとかんがえるべきで、やはりここにも、九州からやってきた移民の姿が見え隠れします。
(2022.05.02訪問)