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災害復旧工事の車両がひっきりなしにとおる県道から、里道のさきに鳥居がみえます。
民家の裏手と、マルチングされた畑には電気牧柵があり、大音量でラジオの音が外まで鳴り響いていました。パッとみて、周囲の家は4軒ほどでしょうか。
石段はすっかり傾き、落葉で埋もれていますが、登ることは可能です。
石段を登ると、どうやらほかにも2つ里道があるのがわかります。神社社殿のほかにもいくつかのお堂や祠が点在しているようです。
たぶん目ざといかたはこの画像で気づくとおもいますが、私、この時点でまったく気づいていませんでした。
まず、正面のお堂を拝謁させていただきました。おそらくここには水がないのでしょう。でかい焼酎のペットボトルで、お榊に水を補充しているようです。榊はすっかり枯れていますが、水に苔がないところをみると、年末くらいには清掃したあとのようです。
福岡県神社誌では菅公を祀るとされている社殿を撮影するのですが、どう撮っても傾きます。血糖値は高いし血圧も高いため、とうとう平衡感覚すらわからない廃人となってしまったかと自分を疑いますが、どうもそうではないようなのです。地面そのものが傾いています。
社殿には立派な絵馬が複数飾られていました。このつくりをみると、どうやらむかしはもっと大きな神社だったものが、ふたまわりほど小さく作り直されたのでは?と気づきます。
御神殿(本殿)部分は、なんと花菱紋です。九州王朝の紋章であり、真の御祭神は菅公ごときではないことがわかります。手をあわせて拝謁させていただくと、やはり菅公にはおもえません。ここもどうやら、元は大幡主を祀る天神社(田神社)だったのかもしれません。それにしても3座あるはずなのに、残る左右2座には御神体がありません。扉の配置からして、御神体のない左右こそ、花菱紋の神様が居たはずなのです。それがないということは、どこかで隠されたのか……。
ここのお榊は水切れを起こしていないため、青々としています。やはり最低限の奉仕だけは、どなたかがされているようです。
となりの石祠はお榊のすきまから御神体を拝謁させていただくと、剣をもって鎧をきた武者姿です。スサノオさんでしょうか。するとこれは祇園さま?
境内から里道を下りたところにも、なにやらお堂がみえます。
観音さまとお地蔵さまが祀られていました。
そのままこの里道を下れるのかとおもっていたら、害獣除けの柵と電気牧柵で封じられて先に進む道はありません。
もとの境内にもどって、もう一方の里道から退去しようとしたとき、振り返って神社そのものが、木の根っこで支えられていることに気づきました。
これがわざとのものなのか、社殿改築後に大雨などで地盤がくずれ、こうなってしまったのかはわかりません。ただ、奇跡に手をあわせるしかありませんでした。
帰りにとおった里道は、途中から2017年の九州北部豪雨の影響か、すっかり道が枯れた川のようになっていました。
そこにタヌキかイタチが半分白骨と化して横たわっており、踏みそうになりあわてて足をひっこめてよろけます。
どんどん災害復旧工事はすすんでいるのに、目の前の集落や神社はすっかり……。
途中、車を停めた場所まで歩いて戻りましたが、県行造林で植えられた人工林のじべたをよくみると、石垣が多いのに気づきます。
そして、どこに向かうのか杣道(林業のかたの通路)の跡もみかけます。
いまひとが住んで、田畑がある部分だけがこの集落だとおもっていましたが、どうやらむかしはもっと巨大なものだったようなのです。
福岡県神社誌:下巻408頁
[社名(御祭神)]天満宮(菅原神)
[社格]無格社
[住所]朝倉郡高木村大字黒川字元ノ目
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.02.05訪問)