美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

朝倉市佐田 高木神社


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2001年6月26日、久しぶりに20kmほど歩いたため、足に靴ずれが出来て痛く、遠出ができません。

近場のため後回しにしていた朝倉市佐田地区の高木神社を訪問することにしました。

見事な快晴です。歩こうにも足が痛いのが残念でなりません。

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広い境内に豪勢な拝殿と社殿が建っています。

現在の過疎が進んだ状態からは想像もつきませんが、江戸時代、ここはたたら製鉄のための燃料(材木)供給地として栄えたそうです。

当時の財力と繁栄を見ることができます。

黒川院歴史散策マップ

甘木市高木黒川地区は明治22年に旧上座郡黒川村が佐田村と合併し高木村となり、昭和30年に甘木市と合併し現在に至ります。

黒川院

正慶2年(1333)12月、後伏見天皇第6皇子長助法親王が彦山の座主(ざす)として入御され、その館を上座郡黒川村(甘木大字黒川)につくり「黒川院」と称しました。 この長助法親王(助有法親王)から舜有法主まで(天正15年)14代の座主が黒川に館を構えました。
15代の忠有法主以降館は彦山に移され、27代の教育法主まで続いています。

明治22年(1883年)に佐田村と黒川村が合併して高木村が成立します。その「高木」とは、高木神社の「高木」で、この佐田地域にいかに彦山信仰が強く根付いていたかということがわかります。

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と言っても、基本的に高木神社(大行事社)は英彦山による領地支配の出先機関であり、古い時代を知る手がかりとして重要なのはその境内に在るほかのお宮や石祠です。まず、正面右手の石祠を拝謁させていたくと、そこにはお大師像がありました。

ただ、石祠のサイズと石仏が微妙に食い違うため、もとはほかの祭祀だったかもしれません。

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正面左脇にはスサノオさんを祀る須賀神社(祇園社)があります。敢えて近接撮影はしませんでしたが、御神体はどうみても豊前坊天狗です。おそらく、もとは豊前坊だったのではないでしょうか。

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さらに須賀神社の裏手に、石祠が3つ並んでいます。「五十猛命」とは、饒速日命(にぎはやひ)の別名で、山幸彦や猿田彦としても有名です。

イチキシマヒメ - Wikipedia

『日本書紀』においては、本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、第三の一書では、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとしている。

市寸島比売命:玄松子の祭神記

別名
狭依毘売命:さよりびめのみこと
瀛津嶋姫命:おきつしまひめのみこと
市杵島姫命:いちきしまひめのみこと
市岐嶋毘賣命:いちきしまひめのみこと
中津島姫命:なかつしまひめのみこと

なにやら見慣れない文字があり戸惑いますが、市杵嶋姫(いちきしまひめ。弁財天として祀られることもあります)を祀る石祠です。

あともう一つが読めなかったため、近所のお宅で伺うと「山の神」とのこと。大山祗(おおやまつみ)でしょうか。

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それにしても広い境内です。一段高いところから広場にあつめた住民に命令するための場所で、この神社が本質的には英彦山の指示を令達するための空間であったことがわかります。江戸時代になって英彦山の所領をはなれ、地域の氏神・産土神へと変化していったのでしょう。

となると、元々の祭祀は山の神・水の神だったはずで、そこに英彦山の出先としての大行事社が重なり、現在の姿になったと考えられます。

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私はハゼや漆でかぶれたことはないのですが、父親がかぶれます。

いちおうは警戒するため、いっしゅんハゼの木かと驚きましたが、どうやら楷の木(カイノキ)という別種のようです。それでもウルシ科らしいですが……。

当神社の楷樹は平成十八年四月に会津藩校日新館(福島県会津若松市)から贈られたもので、徳川宗家第十八代当主・徳川恒孝氏によって植樹されたものである。平成十八年十二月吉日。

どうやらそうとう珍しいものだということはわかりました。福島の会津若松から贈られた徳川宗家の御手植え……。

こちらは北部九州にある盆地「日田」です 佐田での貞任伝承検証 3回目 高木神社編

元禄16年(1694)に書かれた『朝倉紀聞/古賀高重編』によると
大行事の杜、当村の産神九月二十三日に祭る。十一面観音也。彦山の末社と伝ふ。当社の左右に木像十三体あり現人神と言ふ。当村庄屋祖先代々の像也。松島大明神当村庄屋手島氏安倍の貞任の後胤也。彼氏族の産神なりと言ふ。大行事佛谷に有り石躰なり。天神山神九躰九所に在り石躰なり。妙見二躰木像なり、辨財天石躰也。釈迦、阿弥陀、薬師観音、子安の観音と言ふ。文殊地蔵佛谷に有り。通堂に石躰十三佛あり、故に佛谷と言ふ。毘沙門佛谷にあり経塚あり、立仙の墓里民傳へて安倍の貞任の墓と言ふ。戸屋城往古彦山の座主此地に籠城ありしとなり。
とあります。

今回の記事を書くにあたりインターネットを検索していて驚いたのですが、どうやら英彦山の出先「大行事社」から、江戸時代になると安倍貞任の末裔を称する庄屋家の祖廟と化していたようなのです。

安倍貞任 - Wikipedia

埋葬地
埋葬地は明らかではないが、各地に伝承として残されているものがある。
貞任峠 (京都府)
足手谷 (京都府)
人尾峠 (京都府)
下宇津八幡宮 (京都府)
船井神社・腕(かいな)守 (京都府南丹市八木町)
久留守神社 (京都府南丹市八木町刑部)
安倍貞任の墓 (山口県山陽町)
立仙墓/安倍貞任の子の墓 (福岡県朝倉市佐田)

どうも貞任から「佐田」となったという説があるそうですが、ほんとうのところはどうでしょうか。おそらく手嶋家が安倍貞任の末裔だということと、佐田という地名の由来を掛け合わせただけで、ほんらいの地名の起こりは別にある気がします。 

 

最後に一点。

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こちらは北部九州にある盆地「日田」です 佐田での貞任伝承検証 3回目 高木神社編

妙見二躰木像なり、

朝倉市上秋月 白木神社(白木宮) - 美風庵だより

朝倉市甘水 白木神社(北辰社) - 美風庵だより

この五十猛命を妙見様の成れの果ての白木神社と考えれば、五十猛命と結びつけられている理由もわかります。

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旧上秋月村、旧秋月町、そして旧高木村の一帯は、妙見信仰をもった熊襲が治めていた時代があったのかもしれません。

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小郡市上岩田 老松神社 再訪 - 美風庵だより

まだ羽白熊鷲(熊鷹)とはなにか理解できたとはとうてい言えないのですが、もしかするとここにヒントがあるのかもしれません。 

福岡県神社誌:中巻36頁
[社名(御祭神)]高木神社(伊弉冉命、伊弉諾命、高皇産霊命)
[社格]村社
[住所]朝倉郡高木村大字佐田字元村
[境内社(御祭神)]須賀神社(素戔嗚命)、愛宕神社(保食神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.06.27訪問)