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2019年6月以来の再訪です。
前回訪問時に書いた文章を読み返し、今回気づいた点を補足することにします。
前回は国道500号沿い、公民館側から車で訪問させていただきました。
今回は、自転車で高速道路の脇道をとおり、小郡市井上地区から離合できない里道?を通って、老松神社を訪問しました。進入する方向が違うだけでも、ずいぶんと印象がことなります。用水路に御神橋がかかり、その先に複数の石が転がっています。もしかすると、鳥居の残骸でしょうか。
おそらく、むかしここは池だったのでしょう。水を引き込むのをやめたのでしょうか。それとも湧水だったのでしょうか。池にうかぶ島だったところに五重塔が置かれています。
あらためてよく見ると、神社というより墳墓といった雰囲気です。社殿の両側裏手に、ちょっとした小山があります。ちょうど二つの山の合間に、社殿がおさまっているような感じです。
地元が作成した案内板に、もとは「神岩戸」であり、神岩田を経て現在の地名である上岩田に変遷したのではないかと記載があります。岩戸とは墳墓の石棺がある部屋の前をふさぐ石のことですから、ここはもともと権力者の墓であったことがわかります。
神功皇后の聖蹟地に、築山をつくって岩戸を設け、のちに神社としたのか、それとも、さきに岩戸があって、神功皇后が立ち寄る場所に選んだのか。この点が謎としてのこります。しかし、この小郡市上岩田地区の老松神社は、権力者の墳墓を中心とした祭祀場から、高良玉垂命を祀る玉垂宮となり、のちに支配層の交代にともない、老松神社へと何度も上書きされている。このことだけは、言えそうです。
過去の訪問記録
福岡県神社誌:中巻202頁
[社名(御祭神)]老松神社(菅原眷属神、高良玉垂命、住吉大神)
[社格]村社
[住所]三井郡立石村大字上岩田字磐戸
[境内社(御祭神)]天満神社(菅原神、仁徳天皇)、事勝神社(猿田彦大神)
(2020.08.23訪問)