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比較的簡単に場所はわかり、鳥居の下に自転車を停めて扁額を見上げます。
「大悲神」……?もうこの時点で謎です。いったい何を悲しむことがあるのでしょう。
観世音菩薩の総称。
六観音の一、千手観音の異称。
googleで「大悲」を検索してみると、このような内容が結果として表示されました。
どうも、ここに祀られていたのは観音さま、とくに千手観音のようなのです。これは、むかし神仏習合だった時代の名残でしょうか。
ゆるやかな参道の脇には車道が設けられており、石段をあがるより楽なので車道を登ります。
境内のうち社殿に使われているのは3割ほどで、残りは空き地です。最初からこんなにただっ広いはずはなく、いろいろな建物が建っていたのだと想像されます。
案内板があるので読み進めていくと、これにもまた違和感を感じます。
辛国息長大姫大目命とは、香春神社でも祀られている帰国子女の神様のことで、おそらくは天細女(あめのうずめ)のことであろうとしました。ここには、天細女と天之忍穂耳が出会い夫婦となったことが記されているのです。
ただ、そこに天穂日命が登場します。この天穂日命が誰なのかも議論があるところですが、現在のところ大幡主と考えるのが自然なようです。
その前提であらためて案内板を読み返すと、天細女と天之忍穂耳が「孳尾(じび)」したとあるのに驚きます。
以前なにかの折にどう読むかわからず漢和辞典をひいたのでたまたま覚えていましたが、「孳尾」とは鳥獣の交尾をさす単語です。白川静さんの「字通」では「鳥獣のつるみ」と解説されています。要は神様同士が海で出会って意気投合、そのまま性交まで至ったと言っているわけで、あまりに直接的な表現が、なにか裏の意図があるのかと勘繰りたくなるほどです。
そしてそこに、天穂日命こと大幡主が登場します。天之忍穂耳と天細女夫婦に、何故彼が絡むのか……。
さらに「筑紫の凶戎を平誅し」とあるのも不可解です。
「高良玉垂宮神秘書」でも強調されているとおり、九州王朝最後の天皇である高良玉垂命(開化天皇)勢力にとって、敵とは彦山権現、つまり天之忍穂耳を担ぐ一党にほかなりません。神秘書とちょうど逆側の立ち位置からみて、案内板を素直に解すれば「九州王朝正統に戦いを挑み彼らを追い出して地域に平和をもたらした」となるわけです。
いくら読めてしまうといっても、果たして、そう読むのが正しいのか……。
緑に囲まれた社殿を眺めているうちに、おそらく祭神が入れ替えられているのではないか、とひらめきました。ほんとうは天穂日命(大幡主)ではなく、その子 饒速日命(にぎはやひ、山幸彦、猿田彦、五十猛命)ではないか?
天細女からみた場合、最初は天之忍穂耳(海幸彦)を夫としていましたが、途中で饒速日命(山幸彦)を夫とするようになります。
するとこの桑原神社は、筑紫神社などと同様の性格を帯びるだけでなく、天之忍穂耳の勢力下に存在した、九州王朝の砦のひとつだったと解釈できます。
どちらが正しいのかまったくわからないため、いったんここで棚上げとします。
久しぶりに難解な神社に遭遇しました。わかる日が来るのでしょうか……。
福岡県神社誌:下巻203頁
[社名(御祭神)]桑原神社(息長足姫命、天之忍穂耳命、天穂日命、素戔嗚命、高淤加美神、罔象女神、闇霊神)
[社格]村社
[住所]田川郡大任村大字今任原字桑原
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.05.23訪問)