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福岡県神社誌によれば、健磐龍命以外の御祭神は、明治以降に同じ地区の神社が統合・合祀されたものとあります。むかし小郡市干潟地区は、熊本県阿蘇市の阿蘇神社の社領であった時代があり、そのころにいわば出先としてつくられた神社のようです。
阿蘇神社の社領であったのは、寛平の頃(889年~898年)からとありますから、花立山(城山)付近が熊襲の拠点であったことも考えると、どうももともと縁があって阿蘇神社の社領に選定された気がするのです。
境内に、ほぼ阿蘇神社社殿と変わらないサイズの生目八幡神社があります。
生目八幡といえば、宮崎にあるお宮です。福岡県神社誌では、平家の落人である藤原景清を祀るとしていますが、熊襲の地から来た神社であるという点を、重視すべきなのです。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻202頁
[社名(御祭神)]阿蘇神社(健磐龍命、素戔嗚命、菅原神、多紀理姫命、多紀津姫命、市杵嶋姫命、天照御魂神)
[社格]村社
[境内社(御祭神)]生目八幡神社(景清霊神)
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(2019.10.06訪問)