小沢先生、大丈夫ですか?
6月16日、立憲民主党の小沢一郎衆院議員や小川淳也前政調会長らは、野党間の候補者調整を執行部に求める「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」を設立した。
記者会見で小沢氏は「候補者の一本化、野党間での話し合い、調整が必要なのだということを表に、声に出すことに有志の会の基本的な意味がある」と設立目的を説明。賛同者には立民所属衆議院議員の半数以上の53名が名を連ねたのだ。
次期総選挙で共産党との選挙協力を否定する泉健太代表への異議申立といえるが、これに対して泉代表は「他党がなかなか候補者調整に応じない状況のなかで、どういった手法があるのか、ぜひ率直に意見を聞きたい」と小沢氏らとの面談に応じる姿勢を示す一方、「言うは易し」とハードルが高いことも示唆した。
若いころちょうど日本新党ブームのさなかで、1996年の総選挙までの3年間、日本新党・新進党のビラ配りをしていました。それ以降も内心はずっと非自民・反保守であったのは、過去の日記を読んでもらえればわかるとおもいます。そのくせ神社めぐりなんてやってるわけですが(笑)
10年ほど前にも自民党から弾き飛ばされた連中が大団結して政権交代実現したはいいが、実際に与党になりかじ取りする側にまわってみると、主義主張の一本化ができず大混乱におちいりました。与党が割れて次の選挙で大惨敗を喫したのに、また同じ轍を踏みにいくのか、なにやってるんだ小沢先生、と、ある種のむなしさをおぼえるのは、私だけではないでしょう。日本未来の党なんてもんがありましたね……。
当時「与党でなくなれば資金源を断たれ干上がる。2回総選挙やれば自民党は壊滅」と吹いて歩くかたがだいぶおられましたが、なんのことはない、烏合の衆すぎて資金源を断ち息の根をとめるまえに、自分たちのほうから自己崩壊してしまいました。
かりに民共路線といっても、もし勝って発言力がつよまれば、水と油で路線闘争がはじまるわけで、小沢先生はたんに民主党大勝利のセオリーに自縛されてしまっている気もします。誰か止めてやらんのかね……。
彼の発言は真に受けられるものなのか。
■国民民主党・玉木雄一郎代表(発言録)
(小選挙区比例代表並立制の導入などの政治改革に合意した細川護熙元首相が、「緩やかな多党制を目指した制度で、二大政党制を目指したものではない」と発言したことについて)椅子から転げ落ちるような話だ。連立の組み合わせを想定した制度だと言っていたのは衝撃的だ。今の制度で二大政党制は無理だということだ。
であれば、連合も含めて二大政党制を目指す前提がガラガラと崩れたのではないか。(制度の)創設者である細川さん自身が言ったということは、この30年は何だったんだということになる。二大政党制を目指してやってきた人たちからすると、天地がひっくり返る話で、もう無理だということが確定したのではないか。(記者会見で)
わたしからすると玉木さんがおどろくほうにビックリです。
衆院の選挙制度を議論する与野党の協議会は26日、約30年前に小選挙区比例代表並立制などの政治改革に合意した細川護熙元首相を招き、意見を聞いた。細川氏は二大政党制ではなく、多くの党がその時々の連立政権に入ったり出たりすることによる政権交代を念頭に置いていたとの認識を示した。
小選挙区制導入などの政治改革から30年となったのを機に、衆院の選挙制度を議論する与野党の協議会は19日、政治改革に合意した河野洋平・元自民党総裁を招いて意見を聞いた。政治改革は政権交代可能な二大政党制などを理想として掲げたが、河野氏は「当時の想定と大変な差があった」と振り返った。
「政党中心・政策本位にかけるという決心だった。しかし、30年経って今の政治を見た時、国民が政党・政策を選ぶ形になっているか、ギャップを感じざるを得ない」。
以前日記で細川さんの話を書いたさい、「ソース!」とわめくコメントをいただいたのですが(問答無用で削除させていただきました<(_ _)>)、日本新党と新進党のビラ配りやってた時代に中のひとが言っていた話にソースなんかあるわけがありません(笑)べつに信じたくなければ信じなければよいのになんでわめくか、どこかに根強いファンでも居るのかもしれませんが。
熊本県知事生活に飽きて東京に戻りたくなり、東京都知事出馬のため根回しをしていたころ、うっかり九州新幹線問題で「費用対効果をかんがえたら熊本に新幹線は要らない」と発言してしまいます。これが自民党重鎮を怒らせて都知事栄転どころか自民党に居場所がなくなり、スカウトしたスタッフ引き連れて自民党を飛び出し、広告代理店にかんがえてもらった「日本◎党」という党名でリベンジ戦に打って出ます。
政党名なのに政治的主張がどこにもないのはなぜか?と西部邁さんをはじめ複数の論客に突っ込まれヨレヨレの回答をしていたころで、テレビ越しにながめつつ不安になったものです。
つまり、彼はリベンジの道具として当時流行していた政治改革・選挙制度改革に飛びついて、それを旗印にしただけで、さきに理念があって行動したわけではありません。カッコがつけばなんでもよかったのです。
この出自についての認識がないと、玉木さんと同様、正体を見誤ります。
そもそも、小選挙区比例代表並立制が弱小政党に厳しい制度だからこそ、日本新党含め新進党結成にはしり、その後のフロムファイブを経て民主党合流に至ったわけで、自分が政局の真ん中にいた時代すら、忘れたのでしょうか?
さいしょの理想と実際に足して割ってを繰り返し決まった制度がもたらした現実をよく把握しているのは、河野洋平さんのほうで、さすがというほかありません。いまにしておもえば、細川さんより河野さんのほうが首相にはふさわしかった気がします。
まぁ、玉木さんには、もう細川さんをそっとしてあげて欲しい、という気もしますけどね。ネタがないからって、こうやってムチ打ってる私も同罪か……(笑)