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「護国神社前」バス停から少し入ったところにあります。
菊池霊社
元寇後の鎌倉時代、鎌倉幕府討幕運動と後醍醐天皇を拝する気運が高まっていました。1333(元弘3)年3月13日、天皇方の菊池武時は、倒幕のため鎌倉幕府の九州支配の拠点たる鎮西探題を攻撃しましたが、味方の裏切りに遭い犬射馬場(現在のJR博多駅辺り)で討ち死にしました。武時たちの首は犬射馬場に懸けられたとされていますが、その後、武時首は馬場頭(六本松三丁目)に葬られ、その場所が首塚、菊池神社となったと伝えられています。胴体は現在の城南区七隈に葬られたといわれており、その場所が菊池神社となっています。
明治35年、明治天皇は馬場頭の武時の霊に従一位を贈りました。これを記念して近隣住民が費用を出しあい、明治43年に「贈位之碑」を建立。昭和7年の没後600年祭には「菊池寂阿(武時)公之墓」と「鳥居」が建てられ、現在の霊社となっています。
霊社では現在も毎年3月13日には墓前祭が厳かに行われています。
寝返った少弐・大友軍に背後を突かれ、突入した武時以下、全員が討死しました。しかしこの忠節ぶりは後に楠木正成によって高く評価され、後醍醐天皇への進言を得て、13代武重が肥後守に任命されるという形で報われました。
この時、「首が切られたのに気がつかないまま数キロ走り抜けた」という伝説が残っていて、首が落ちたとされる福岡市城南区の護国神社付近に首塚、首を失った胴が倒れたとされる地下鉄七隈駅そばに胴塚として、2つの墓が残っています。現在は、それぞれの場所で菊池霊社、菊池神社の主祭神として祀られています。
戦場はJR博多駅付近で、首が落ちたのが護国神社の辺り、そして胴体を乗せた馬が倒れたのが七隈。それぞれ約4kmずつ離れています。いくらなんでも、死んで4km、首がとれて4kmは、現実にはありえないとおもうのですけどね……。
逆光でほとんど撮影ができませんでした。
いずれ七隈の菊池神社を訪問したさい、あらためて再訪しようとおもいます。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.27訪問)訪問当日の様子はこちらに掲載しています。