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現地を訪問するまで、社号をなんと読むのかもわかりませんでした。
現地案内板に「てきりゅう」と振り仮名があり、そのまま音読みしてよいようです。
三溝の氏神様であり、また守護神様でもある。鏑流さん、または藪神様と呼ばれている。文武両道、五穀豊穣の神といわれ、掘江神社に合祀されていたこともあるという。お祭は8月7日。鳥居には「鏑流社」とあり、「寛政9年(1797)11月宮司覚明坊建立」と彫られている。社の所在地は元神屋敷といい、3回移転されて現在地に鎮座され、明治維新前は山伏の祈祷所、祈願所であったという。また、地領主の勧請の神社でもあったらしい。掘江神社の松中宮司によると、祭神は流鏑馬の神とのこと。鏑流神社の「鏑流」は、流鏑(馬)ともいうが、その逆字流鏑馬がなまったとか。ご神体は、腐蝕しかかった神馬上に跨り、矢を持ち巻狩のいでたちのような勇壮な姿をしている。流鏑馬とは、騎射の一種で、馬上でやつぎばやに射る練習として馳せながら鏑矢で的を射る射技。笠懸、犬追物の姉妹競技で、平安末期から鎌倉時代に武士の間に盛んに行われた。
なかを拝謁させていただくことはできませんでしたが、どうやら御神体は馬にまたがった武者であるようです。
流鏑馬の起源は6世紀中頃(552年)に欽明天皇が国の内外の戦乱を治めるため、九州豊前の宇佐の地において、神功皇后・応神天皇を祀り「天下平定・五穀豊穣」を祈願し、最も騎射に長じた者に馬上から三つの的を射させた神事が始まりとされている。
流鏑馬の創始については諸説あるようです。
もとはこの案内板のとおり、流鏑馬の創始者とされた八幡太郎 源義家だったのかもしれませんが、流鏑馬の創始について考慮した結果が「流鏑馬の神」なのかもしれません。
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。
(2022.08.24訪問)