松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区曰佐1丁目 住吉神社(曰佐住吉神社)


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拝殿が縦入りの切妻となっており、神明造なのかとおもって横にまわりこむと、本殿も縦です。神明造は本殿が平入で拝殿が縦、住吉造は本殿が切妻の縦入りで拝殿が平入なので、じつはどちらでもありません。なかなか珍しい形態をしています。

曰佐住吉神社の由来

曰佐とは、上曰佐に百済・下曰佐に漢の訳語(通訳)の住んでいたところとして有名であるが、平成十二年外環状道路建設のための曰佐遺跡の発掘調査によって、此の地から先土器時代の遺物や縄文土器等が大量に発見され、明の時代の中国製輸入陶器や、平安末期から室町時代の集落跡も発見され、此の地域は六千年もの太古から先進的な人々が住んでいたことが考古学的に証明された。
神社の御祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉三神の外、香椎大神・若大神・高良神を祭る。
又、明治四十四年上曰佐の天神にあった地禄神社(埴安比売神)を合祀している。
神社の起源等を記した古文書は明治初期の竹槍一揆で焼失したが元禄六年に創建された旧社殿の棟札等の記録をもとに、明治の始めに松田敏足氏によって書かれた「曰佐住吉神社御由来考」によれば筑紫国、那の津口に官家(博多区比恵)が造営されてより、此の地方は中国大陸や、朝鮮半島との外船の往来するところとなり、曰佐はその応接の要地であったため、その航海の安全や鎮守の神として筑前那珂郡に住吉三社が居かれ、(上社は那珂川町の現人神社・下社は博多区の住吉神社)当社は、その中津瀬の神として祭られたもので、その起源は宣化天皇の御宇(五三六年)の前後であると記されている。
元禄六年(一六九三年)に創建された旧社殿は由緒ある古い建造物として、村長から県知事に報告された程の格式のある荘厳な社殿であったが、大正四年九月三日失火により全焼したため直ちに再建に着手、神殿及び幣殿は官幣大社香椎宮より古殿の払い下げを受け、絵馬殿は現那珂川町五ヶ山綱取より購入して村人総出でこれを運搬して大正七年六月三日に竣工した。
これに要した費用二千六百五十一円七十八銭は旧曰佐村の各区及び氏子全員の親戚縁者からの寄附によるものである。

若大神とはだれのことかとおもいつつ、拝殿の扁額をながめます。

高良大明神が高良玉垂命のことなのは、いまさら言うまでもありません。香椎大神は神功皇后です。玉垂宮神秘書では、足仲彦亡き後、高良玉垂命と神功皇后は夫婦となり、その若宮は、仁徳天皇です。すると、若大神とは仁徳天皇でしょうか?

現在の社殿は、もともとは香椎宮(聖母宮)の古宮を譲り受けたものとあり、この社殿の様式が、過去の祭神を反映するものではないことはあきらかです。すると、ここはもともと玉垂宮だったのではないか?ともかんがえられます。

上社は那珂川町の現人神社・下社は博多区の住吉神社)当社は、その中津瀬の神として祭られたもので、その起源は宣化天皇の御宇(五三六年)の前後である

そして、案内板には、いま日本三大住吉のひとつとされる博多区の住吉神社が「下宮」であるとあり、関連のあることが指摘されています。

境内の隅に、素戔嗚神社、おそらく元は祇園社だった石祠がありました。

板碑
この小さな石は板碑と云って、亡くなった先祖の霊をうやまふために立てられたもので、拓本協会の加藤久嘉氏によると、宝塔の浮き彫りがあり、中に刻まれた梵字はバク(釈迦)と読めるようである。頭が折れてはっきりしないが浮き彫りの板碑はめずらしく福岡地域では春日上白水と太宰府の観世音寺に有るのみである。中世(鎌倉・室町時代のもので神社に現存する構築物では最古のものである。
平成十八年十一月 氏子総代

那珂川市の五ケ山というと筑紫耶馬渓や南畑ダムがある辺りで、ここから10km以上あります。いくら下り坂道とはいえ、この絵馬殿を村人総出で運搬したというのが、おどろきです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/80/Kashii-gu0903.jpg/1024px-Kashii-gu0903.jpg

香椎造 - Wikipedia

香椎宮にみられる香椎造は、入母屋や切妻を組み合わせた独特のかたちをしています。

どのようにして改造したのかが気になり、しゃがんで眺めようとしたのですが、柵がじゃまですすめません。いずれ、機会があったらまた再訪したいとおもいます。

福岡県神社誌:中巻53頁
[社名(御祭神)]住吉神社(底筒男命、表筒男命、中筒男命、香椎大神、若大神、高良神、埴安毘売神)
[社格]村社
[住所]筑紫郡曰佐村大字下曰佐字上ノマエ
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる、筑前続風土記拾遺に曰く那珂川(村の西)住吉神社村南二軒計りに在り相殿に香椎大神若大明神高良神をも祭る両曰佐村の産神なり。
元禄六年神祠宝殿重建棟札に筑前州灘県曰佐両邑所祭住吉神祠宝殿一宇下曰佐村農長藤氏平次常安興邑人及上曰佐邑人戮力以経営年中一定の祭日正月七日追儺祭二月七日御田祭三月三日潮干祭六月二十九日名越祭八月四日初穂祭九月十三日相撲会祭十一月歩射祭十二月二十九日晦日祭。
祭神埴安毘売神は大字上曰佐字天神の上無格社地禄神社として祭祀ありしを明治十四年六月三日合併許可。
[境内社(御祭神)]素盞嗚神社(素盞嗚命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.23訪問)