生活困窮者です。ただいま2時です。
帰宅後いちど寝て、夜中に起きだして小さめの音で音楽をかけながら字のけいこをしています。
手がかじかんできたのと、肝心の字のけいこより日記を書くほうが長くなってしまったので、再度寝ようかと考えているところです。
先日、ノイマンの話を書いたところ、知人のかたから「ノイマンのレニングラードは素晴らしい」というメールをいただきました。
以前、シェーンベルグの「浄夜」めあてで購入したCDに収録されているのを思い出し(ん~、普通は逆か?)、さっそく聴いています。
すでにCDは廃盤のようですが、amazonでMP3音源を購入できます。
知人のかたが「バーン*タインよりも良い」と書かれていましたが、たしかにノイマンとチェコフィルの妙な芝居がかっていない演奏のほうが、しっくりきます。
交響曲第7番 (ショスタコーヴィチ) - Wikipedia
1942年3月29日に「プラウダ」紙上にて
「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」
と作曲者によって表明されたことから『レニングラード』という通称を持つ。
先にこの「触れ込み」が刷り込まれてしまっているせいか、 あざとく演奏されるケースが多い曲です。初めての「レニングラード」が、安く手に入れたバーンスタ*ンとニューヨークフィルの録音で、こういうものか、と思ってしまったというのもあるのですが……。
ノイマンの演奏はこのあざとさがなく、曲を聴いた感動だけを味わうことができます。久しぶりに聴き直して、ノイマンの魅力を再認識することが出来ました。とくに第2楽章以降は神懸かっています。
交響曲第7番 (ショスタコーヴィチ) - Wikipedia
作品完成直後の1941年12月27日に、疎開先クイビシェフでショスタコーヴィチ家のパーティーに招かれた隣人フローラ・リトヴィノワは、作曲者の次のような発言を回想している。
「ドミトリー・ドミトリエヴィチは言った。『ファシズム、それはもちろんあるが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である』。その後、ドミトリー・ドミトリエヴィチは、第7番ではファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いたと語った。」
第1楽章のどんちゃん騒ぎの能天気さ、醜悪さは、ノイマンで聴いてこそ批判・皮肉なのだとよく判ります。芝居がかった演奏は、この部分を勇猛果敢なソ連軍の行進曲として演奏してしまうため、結果として全体がねじ曲がってしまうのです。
レニングラードなんて何年も聴いていませんが、あらためて聴いて、こんなに意味深な曲だったのかと驚きました。