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丁字路の一角に、お稲荷さんと「経石塚」があります。
経石様
経石様は、寛延元年(1748年)に流行病による死者の霊を慰め、疫病退散を祈願して、法華経を一文字一石書きした小石を祀ったものである。地域の先祖供養として大念仏祀りが毎年8月16日に行われる。大念仏とは、大きな数珠を参拝者全員であやつりながら鐘や太鼓を打ち鳴らし、念仏を唱えて数珠の大玉に拝礼祈願する行事である。当地の造成工事の際に、経石はいったん取り出されて埋め戻しされた。
幸福稲荷大明神
明治23年(1890年)3人の子どもたちが犬を連れて近くの山に椎の実拾いに出かけた際に小ギツネを捕まえて持ち帰ってきたが、神湊稲荷神社を信仰していた新町の中村孫七郎が殺生をいましめ、巣に戻させた。その後孫七郎に「この上は、原町の無事安全は申すには及ばず家業発展の守護すること云々」と稲荷神のお告げがあり、ここに稲荷大明神を祀ったと伝えられている。2月初旬の初午の際に、原町住民による祭りが行われている。
つまりこのお稲荷さんは、明治になって啓示がありここにお祀りされることになったわけです。まだ100年そこらなんですよね……。
こちらが経石塚です。
念のためそれぞれの祠にあった案内板も撮影しましたが、表通りのものと文面は同じでした。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.09.26訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。