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2015年で更新が停まっている「玄松子の記憶」というWEBサイトがあります。神社マニアなら必ずみたことがある有名なホームページなのですが、そこでこの「生国魂神社」が取り上げられています。
社伝によると、神武天皇東征のおり、摂津の国石山崎(現在の大阪城附近)に鎮座したのが始め。当初より、大八州の神霊として、国魂信仰の本宗と仰がれている。
(略)
豊臣秀吉による大阪城築城に際し、現在地へ遷座された。
これを読んで、大阪にはえらいものがあるんだなと気にはなっていましたが、なかなか足をはこぶことがありませんでした。
大阪というとあまり坂があるイメージはなかったのですが、この生国魂神社は、上町台地の端にあり、けっこうな急坂を登ります。元々は大阪城のあたりにあったものが、大阪城築城に際して、現在地に移転したとのこと。
広い参道のさきにある社殿は、1956年(昭和31年)に改築された鉄筋コンクリート造のものです。1945年3月の空襲で全焼し、1949年に再建されたものの翌年の台風で倒壊したため、あらためて鉄筋コンクリート造とされました。
拝殿と回廊でぐるりと本殿が取り囲まれており、なかの様子をうかがうことはできません。
主祭神
生島大神(いくしまのおおかみ、生嶋大神)
足島大神(たるしまのおおかみ、足嶋大神)
相殿神
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
生島神・足島神ときいても誰のことかさっぱりです。
御神紋をヒントに推測するしかありません。
御神紋は「玄松子の記憶」では巴紋と橘紋と記載があるのですが、拝殿にそれらしき紋章はありません。いろいろ探すと、小さめのパンフレットにありました。
橘紋というと真っ先にかんがえるのは豊玉彦(豊国主・豊前坊)の一族の可能性です。
巴紋はいろいろな神様がつかっていますから、こちらからなにかを推測するのは、不可能です。
あと残るヒントは「社伝では、神武天皇(初代天皇)の東征の際、天皇が摂津国難波碕(現在の難波宮跡、大坂城付近)に生島神・足島神を鎮祭したのが創建」というwikiの記述くらいしかありません。
この「神社めぐり」シリーズの基本文献である玉垂宮神秘書では、住吉三神を表筒男尊:安曇磯良、中筒男尊:神武天皇、底筒男尊:高良玉垂命としています。この中筒男尊が神武天皇であるというのが曲者で、べつの場所には足仲彦(仲哀天皇)死去後、神功皇后が高良玉垂命の妃となったとあるため、記紀に慣れた頭だと世代が逆転してしまい、この点をもって「神秘書は信頼するにたらない」とする論者もいるほどです。
また『日本書紀』における神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と崇神天皇の称号である『御肇國天皇』はどちらも「はつくにしらすすめらみこと」と読める。「初めて国を治めた天皇」と解釈するならば、初めて国を治めた天皇が二人存在することになる。
この点については、本物の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)ではなく、簒奪王朝の祖僭称天皇 崇神天皇(ミマキイリヒコ)であるとかんがえれば、世代間の差は吸収できます。ほんとうは、中筒男尊は神武天皇ではなく、崇神天皇のことだというのが、私の理解です。
これは以前、田川郡香春町の香春神社を取り上げたさい、正統九州王朝の系譜からいかにして現王朝に「背乗り」されたかを検討し作成した推定系図です。これをみれば、崇神天皇からみて父方の天之忍穂耳-大山咋(大物主)の系譜と、母方の豊玉彦-玉依姫の系譜の双方の紋章が並んでいることがわかります。
創建は不詳。社伝では、建御名方富命(摂社諏訪神社祭神)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという。この伝承から、生島・足島両神は当地の地主神であると見られており、伝承自体は現在も特殊神事の「御籠祭(おこもりさい)」に名残を残している。
生島神・足島神というと、長野の上田市に生島足島神社があり、この関連で建御名方の両親(天之忍穂耳とオキツヨソヒメ)ではないかという説もあります。おそらくこれが正解なのだろうとおもいますが、少なくともこの大阪市天王寺区の生国魂神社については、崇神天皇の両親とかんがえるほうが、筋はとおります。
崇神天皇が建御名方の両親を、国祖(国魂)として祭祀する必然性がないからです。
もう少し深読みするなら、生島神・足島神のもつ祭祀した権力者の両親という枠だけ借りて、建御名方の両親ではなく、この地で崇神天皇が両親を祀ったとも考えられるわけです。
南海電車の難波駅側から坂道を歩いていくと、朱塗りの北門があります。
現地案内板をながめると、境内社の多さにおどろきます。
社殿正面向かって右側に、天満宮と住吉社があります。
その奥には皇大神宮があります。
水産業繁栄の神様
精鎮社
往古、表参道蓮池に祀られていた弁財天社(明治初年精鎮社と改称)で、特に鮮魚を取り扱う商人、漁師や釣り人の信仰が篤い。商売繁盛、海上安全の御神徳がある。(前掲の現地案内板より)
(画像左)家づくりの神様
家造祖神社
家造の祖神をお祀りする全国唯一の神社。大阪城築城の際にも御神徳を発揚され、現代でも土木建築業界の崇敬篤い。又、家を造るという意味から家庭円満の神様としても崇敬を集めている。(画像右)芸能上達の神様
浄瑠璃神社
近松門左衛門を始め、文楽関係諸霊をお祀りする。又、舞踏や演奏・歌・話術など、お稽古事の上達の神様として信仰されている。因みに、近松門左衛門の「曽根崎心中」は当神社が舞台である。(前掲の現地案内板より)
商運・金物・カマドの神様
鞴神社
鞴とは火熾しの道具の事で、製鉄・機械工具などを扱う金物業界の守護神として、また、各家庭の台所の神様として信仰を集めている。11月8日の例祭には刀匠による刀剣鍛錬神事(作刀の神事)が執り行われる。(前掲の現地案内板より)
勝運・方除けの神様
城方向八幡宮
大阪城の鬼門の守護神として城の方向(北)を向いていた事から城方向(きたむき)と称する。古来より勝運方除けの神として武家の崇敬篤く、戦前には生國魂神社表門通り(参道)にて大阪城中の諸士が流鏑馬を行っていた。(前掲の現地案内板より)
女性の守護神
鴫野神社(淀姫社)
大阪城の淀姫が篤く崇敬していたお社で、俗に「巳(みぃ)さん」とも呼ばれる。女性の守護神として、縁結び・悪縁切りの御神徳がある。(前掲の現地案内板より)
商売繁盛・五穀豊・除災招福の神様
稲荷神社
佐賀県の祐徳稲荷の御分霊で、鍋島藩とその蔵屋敷出入りの商家が篤く崇敬したと伝えられる。商売繁盛、五穀豊穣、除災招福の御神徳がある。(前掲の現地案内板より)
現地幟旗に「大阪祐徳稲荷奉賛会」という文字がみられ、どうやら大阪祐徳稲荷という称号もつかわれているようです。
商売繁盛・五穀豊穣・歯痛封じの神様
源九郎稲荷神社
源九郎稲荷大明神と八兵衛大明神の二柱の神様をお祀りする
源九郎稲荷大明神
奈良県吉野の源九郎稲荷の分祠と伝えられる。商売繁盛・五穀豊穣の御神徳がある。
八兵衛大明神
芸道の神
道頓堀中座の閉館に伴い、中座の奈落に祀られていた八兵衛大明神を当社に合祀した。歌舞伎役者の方々の崇敬が篤かった事が知られる(前掲の現地案内板より)
案内板では源九郎稲荷に2柱の神さまが祀らていることになっていますが、八兵衛大明神は別の場所に遷座していました。
こちらが移転した八兵衛大明神です。
(2022.10.14訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。