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「これからは、人間に見つからんとこで遊ばにゃよ」
茂七は、クチナワ(注:小蛇のこと)に言って聞かせて、草むらに逃がしてやった。千栗(ちりくと呼ぶ・佐賀県みやき町)のあたりで渡し舟に乗って久留米の町へ。見上げる高良大社まで、杉並木を抜けたり急階段を登ったり、けっこう体力を要する。
(略)
朝行きがけにクチナワを助けた筑後川の土手に差しかかった。
「もし・・・」
呼び止められて振り向くと、それはもうこれ以上はないと思える別嬪が立っていた。
「私は、高良の神さまから筑後川を預かっている竜王です。今朝方あなたに援けてもらった子蛇の母親でございます。子供の命を救ってくださったお礼に、この手箱をさしあげます」
「なんですじゃろか、こりゃ?」
「これを持っているだけで幸運を呼ぶ手箱です。ただし、けっして箱の蓋を開けてはなりません」
竜王と名乗る女性は、手箱を茂七に渡すと、葦の原に消えた。茂七は、有り難そうな手箱を神棚にお祭りして、朝な夕なに手を合わせた。
それからというもの、茂七には不思議なくらい幸運がめぐってきた。
佐賀県のみやき町から高良大社に詣でた夫婦が、筑後川を預かる竜王の言いつけを守らなかったばっかりに、せっかくの幸運をふいにしてしまう昔話が伝わっています。浦島太郎の話にそっくりです。
この神社の近くを流れる川は「高良川」と言います。
インターネットの情報では、1965年(昭和40年)まで、この地に「八龍池」という池があり、それを埋め立てたさいに、あらためて神社として祀りなおしたとのこと。
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
ところが、今昔マップで昭和初期の地図と重ねてみると、池とかなり離れています。
池を埋め立てて住宅地開発をしたのは間違いないのでしょうが、この場所はどうやら代替地として選ばれたようなのです。
そう考えると、境内にある「筑後国府址」の石碑も謎が解けます。
元はこの国府址の石碑も、ほかの場所にあったのでしょう。第1期国府跡からこの神社まで、けっこう離れています。
神社を祀りなおしたさい、一緒に動かしてきたことが考えられます。
これまで八大龍王は、豊玉彦と同一視されてきたと考えていましたが、伝承では「べっぴんさん」で「子蛇の母親」ですから、ここでは罔象女神(みずはのめ)があてはまるのかもしれません。
それにしても、つつじや桜と、あまり大きいとは言えない境内に四季の花がいくつも植えられています。季節を感じられる憩いの場です。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.03.27訪問)