今日の運動経路(「飢人地蔵菩薩」と「中山紀念碑」編)
福岡市内、所用のかえりみちにひとり棄ててもらい、路線バスで「神社めぐり」をしました。
「上智福岡中高前」バス停で下車し、福岡市動物園や植物園のある南公園にはいっていきます。
むかしは泰星中学・高校という私立学校だったと記憶していますが、経営の問題からイエズス会関連の学校は上智学院に統合再編され、名前もかわりました。
「飢人地蔵菩薩」
南公園に向かう道を歩くと、途中に「飢人地蔵菩薩」の案内板があります。
道はたいへんわかりやすく整備されていますが、砂利道なので雨あがりは遠慮したほうがいいかもしれません。雨の降ったあとは、靴がすべります。
享保の大飢饉で餓死した農民を悼み、福岡城防衛のためこの地に居を構えていた武士とその家族が建立したものです。黒田藩がなくなり祭祀していた武士のみなさん達も四散したため、明治維新以降は荒れ放題となっていました。
昭和62年(1987年)、地元有志により供養が再開され、いまに至ります。
しばらく手をあわせます。般若心経と天津祝詞くらいしか、なにもみなくてもそらんじることができるものがないため、それぞれ1回ずつとなえてから、退去しました。
「中山紀念碑」
南公園でいちばん高いこの場所は「大休山:おおやすみやま」と呼ばれ、江戸時代、貝原益軒は景勝地として絶賛していたそうです。
その近くに「中山紀念碑」があります。この「中山」とは、孫中山、つまり孫文のことです。
孫文は日本亡命時代には東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期があった。公園の界隈に「中山」という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていた。
美しい隷書です。とくに「紀」「念」のバランス感は、素人の私でも、ほれぼれします。
手元の字書をひくと、後漢時代の礼器碑を、モダンにアレンジしたもののようです。人間、こんな教養がにじみ出るような字が書けるようになりたいものです。
まぁ、私のような底辺労働者には無理ですが。
これを書かれた魏道明さんは台湾政府(中華民国)の駐日大使や、日本でいう外務大臣を務められたかたです。
首頁 - Fukuoka Branch, Taipei Economic and Cultural Office in Osaka 台北駐大阪經濟文化辦事處福岡分處
ここ南公園の近く(「飢人地蔵菩薩」から伸びる坂道を下りた辺り)に、台湾政府(中華民国)の福岡領事館(台北駐福岡経済文化弁事処)があります。孫中山(孫文)生誕100年の記念碑がここに建てられた理由のひとつは、領事館の存在かもしれません。
中華民國 國父孫中山先生致力中國革命期間九次渡日 其間數次來福岡小住 當時日本志士協助中國革命者不乏其人 對中國革命貢献良多。本年十一月十二日欣逢 國父百年誕辰旅居九州華僑特在福岡建碑用誌崇敬 復承福岡日華親善協會合作 乃得観成焉
(当てずっぽうの意訳)
中国革命の時代、中華民国建国の父、孫文は9回にわたって日本を訪れ、何度も福岡に滞在されました。 当時、多くの日本人同志が中国革命を支援し、多くの貢献をされました。 今年11月12日、生誕100年を迎えるにあたり、九州在住の中国人が福岡に記念碑を建立し、福岡県日中友好協会の協力のもと、完成にこぎつけました。
上の「博愛」は、孫文の直筆からとったものでしょうか。
そして「神社めぐり」
南公園から桜坂のほうへ坂をおりていくと、途中に金刀比羅神社があります。現在の福岡市内でもっとも古い金刀比羅宮の分霊と、現地案内板にあります。
坂を下る途中、お地蔵さんや観音さま、十三仏などがぎっしり並んでいる場所があり、駐車場としてもつかわれているのか、車もみっちり停まっていました。iPhone片手に神社やお地蔵さんを撮影していると、物珍しそうに複数のかたが眺めています。
坂を下りながらゼンリンなどを見比べて気づいたのですが、どうやら神社の社号標をすぎたら、市道部分以外は真言宗のお寺さんの土地らしく、不法侵入者だったようです。
そりゃあ、周囲の人々から眺められても文句言えませんわね……。
最後に、福岡市中央区警固3丁目の小烏神社を訪問しました。
このお宮さん、福岡県内の旧村社ではじめて、登録有形文化財指定をもらった神社です。
たしかに、構造の隅々までじつにかんがえられています。境内そのものは広いのですが、社殿の前後が狭いので撮影しにくいのが難点でしょうか。
社殿の原形は慶長13年(1608年)ごろ建立とのこと。当時の様式をいまに伝えます。
約2km、50分ほどの散歩でした。
全数把握か定点把握か。
コロナの全数把握をいい加減やめろ、という声が大きくなっています。
逆に、全数把握をつづけろ、行政と医者働け!という声もあります。
ほんらいこれ、どこかで見直すべきものだったはずなんですが、自民党がわるいのか見てるだけ岸田がわるいのか、手付かずのままでした。
全数把握が必要な場合は、周囲への感染拡大防止を図ることが必要な場合、及び発生数が稀少なため、定点方式での正確な傾向把握が不可能な場合です。
及び(and)であることに注意すれば、ほとんど発生しないものが全数把握の対象であることがわかります。
感染症発生動向調査年別報告数一覧(全数把握 一類~三類)-2020-
感染症発生動向調査年別報告数一覧(全数把握 四類)-2020-
感染症発生動向調査年別報告数一覧(全数把握 五類)-2020-
感染症発生動向調査年別報告数一覧(全数把握 新型インフルエンザ、指定)-2020-
全数把握対象でこれまで毎年数万件単位の発生件数があるのは、結核だけです。
毎日新聞西部本社版朝刊 2022.8.25から
延べ数で1,700万人、日本人の7人に1人がかかるような病気が全数把握の対象ということは、ありえなかったわけです。
のべ7人に1人が罹患した病気をいまだに全数把握の対象とする、こんなアホな命令をしっかり行政機構と医療機関が守ってきたというのは、いかに日本人が優秀かを逆に示す結果となっています。
yahooニュースなぞで、行政や医師の怠慢なんて吠えているのをよくみますが、そもそもここまで蔓延したら根絶は不可能なんだから、定点把握に切り替えないといけません。だから外国はやめたのです。
全数把握の対象となる伝染病は、密閉撲滅で鎮圧するのが人間・家畜をとわず基本です。私は人間の伝染病を扱ったことはありませんが、高原性鳥インフルエンザや口蹄疫のばあい、同じ鶏舎(牛舎)の動物は症状判定またずにすべて殺処分、半径*km以内は指定された日数(発症する可能性がある日数)、移動禁止措置が行われます。人間をまさか殺処分するわけにはいきませんから、人間のばあい「隔離密閉」のため専用病棟に放り込まれて治療をうけます。
この移動禁止措置も報告義務も守らなかったのが、覚えているかたもおられるでしょうが、浅田農産事件です。
もうこれだけ市中まん延し、のべ7人に1人が感染なんて事態になってまだ、密閉撲滅は破綻したけど全数把握だけはやりますよ、というのは、ありえません。
あれよあれよと陽性者が増えてしまい、政治がアホなんで、いまごろ地公体の責任でかんがえろと丸投げ。軌道修正のきかないアホ政治丸出しです。
神風頼みと特攻のDNAを受け継いで……と罵倒しようとおもったのですが、かんがえてみるまでもなく、彼らを与党に押し上げたのは私以外の国民なわけです。
天に唾してもしょうがないんですよね……。ああ、やだやだ。