本稿
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甘木朝倉の地に多数存在する「田神社」ですが、この旧嘉穂郡穂波町小正(おばさ)の地にも存在していました。ご祭神の埴安命(はにやす)とは、大幡主(博多のお櫛田さん、神皇産霊神)のことです。
正面向かって左脇に、高木神社があります。
高木大神こと高皇産霊神(たかみむすび)を祀る大行事社だったと考えられ、田神社と高木神社が一緒に持ち込まれたのであれば、ここは甘木朝倉から、祭祀をもって移住してきた一団がいると考えたほうが、正解かもしれません。
それにしても、この穂波の地は、尾張造にも似た縦長の拝殿が多くみられます。
なにかヒントはないか、でかい覆屋をかけられた社殿を眺めてみましたが、私の目ではなにか特徴となるものは見つけられませんでした。
福岡県神社誌:下巻401頁
[社名(御祭神)]田神社(宇賀魂命、埴安命)
[社格]無格社
[住所]嘉穂郡穂波村大字小正字天神脇
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.10.03訪問)
追記(2022.3.26)
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法輪山 円満寺歴史
秋月藩の家老宮崎織部、穂波郡代官として太郎丸に赴任するや、御殿医初代茅野玄庵と共同して管内を円満に統治せん事を念願し、元和7年(1624)8月郡内を一望できる太郎丸山麓に堂宇を建立し、法輪山円満寺と号す。
開山には大乗院日舜上人を仰ぎ其後300年間此地にありしも諸般の便悪く、21世山崎誠人上人は天道の町に移転を謀り大正8年本堂庫裏の新築に着手同10年4月完成してここに移転を完了せり。
コメントをいただき気づいたのですが、この地は秋月藩領だった時代があるようです。
代官だった宮崎織部公もしくは、移住者のかたが田神社も連れてきたと考えて間違いないようです。
社殿、とくに拝殿は甘木朝倉でみかけないものですが、これは改築のさい、現地の様式にならったものかもしれません。支配層が替わっても、祭神だけは残り続けたわけです。