美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

うきは市浮羽町山北 三次神社


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

f:id:bifum:20210425100155j:plain
f:id:bifum:20210425095902j:plain

 最初入り口がわからず、石祠が見えたので敷地を横切ってしまいましたが、もしかすると私有地だったのかもしれません。

賀茂神社 (うきは市) - Wikipedia

三次神社(元宮様)
人皇第12代景行天皇18年西国を巡狩された時、この山北の地で霊畤(まつりノにわ)を立てられ、楯と矛を奉られて天神地祈を祭り熊襲の静謐(せいひつ)を祈られ、後に日本武尊、仲哀天皇も、神祈を祭られた事が起源となった。
景行天皇28年水沼県主(みぬまのあがたぬし)に勅して「ここに磐境(いわさか)を作り神籬(ひもろぎ)を起こし立てて神祈を鎮祭せしめられた」
由来
・境内にあって雨乞いに霊験著しい「三次石」から起こった。
・景行天皇(けいこうてんのう)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の御三方が次々に神祈を祭られたので三次神社と称す。
・景行天皇がこの社にお泊りになったので初め御次神社と申したのが三次神社と変わった。

景行天皇は、「日本書紀」に大足彦忍代天皇(おおたらしひこおしろわけ)とありますから、九州王朝正統ではないのはあきらかです。日本書紀では、景行天皇、日本武尊、仲哀天皇と3代つながっているため、この三次(つまり「三代」)神社でも問題はないのですが、実際のところは、大足彦は天之忍穂耳の子孫であり、日本武尊や仲哀天皇(足仲彦)と系譜はつながっていないと考えています。

するとここに在るのは、あくまでも天之忍穂耳を祖とする一族が祀った祭祀と考えられ、水沼県主もまた、同系統の一族であったことが考えられるのです。

久留米市大善寺町宮本 玉垂神社(玉垂宮) - 美風庵だより

水沼県主は、宇佐津彦の関係者だったのでしょうか。玉垂命、ひいては九州王朝の衰退後、支配地の再編が行われたのかもしれません。

福岡県神社誌:下巻423頁
[社名(御祭神)]三次神社(景行天皇、菅原道真)
[社格]無格社
[住所]浮羽郡山春村大字山北字日盛園
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.04.25訪問)