この記事を書いた当時は、天穂日命を豊玉彦の別名であると考えていましたが、その後複数の神社をめぐり、豊玉彦の父である大幡主を指すのではないかと考えをあらためています。
【2020.6.2追記】
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旧三井郡金島村大字中川(現久留米市北野町大字中川)に社格が村社の天満神社は2社あることになっています。かたほうは染公民館の近くにあり、もうかたほうは、安永公民館の近くにあります。今回は、安永公民館の隣にある天満神社を訪問しました。
福岡県神社誌の由緒を読むかぎり、なかなか成立は複雑です。
3つの神社が統合されたのが、この天満神社のようです。
(1)まず、天穂日命こと豊玉彦を祀る神社が存在していました。豊玉彦は、大幡主の息子であり、高木大神と天照大神(卑弥呼)の娘を妃とし、いわば入り婿になります。またの別名が八意思兼命で、記紀でも日本統一の軍師役として登場します。赤貧のお気に入りの神社のひとつ 秩父神社では、秩父大神として祀られています(九州から埼玉の奥地まで進出していたのですね……)。
(2)安和年中(968-970年)に菅公を勧請した神社が別につくられます。
(3)そして、これらと別に川西集落に天満神社と水神社が存在。
明治44年(1911年)、(1)と(2)が合併。さらに大正11年(1922年)に(3)と合併したとのこと。
境内をぐるりと一周して驚くのは、台座だけ残して印鑰神社が撤去されていることです。なにか理由があるのでしょうか。
もういっぽうの水神社の石祠には、徳満神とあります。とくまんしんは、旧浮羽郡田主丸町一帯を中心に祀られている水神様で、赤貧もすでに久留米市大橋町蜷川の箱崎八幡宮境内 片淵神社でご対面しています。この神様が何者か、即断はむつかしいところですが、豊玉彦か、豊玉彦のファミリーではないか、といちおうは仮定してよいと思います。今後、他の神社を訪問しながら、しっかりと考える必要がありそうです。
【注】これまで手抜きを兼ねて福岡県神社誌の一部を画像データで掲載していましたが、とにかく容量を食うため、今回から必要と思えるところのみ文字起こししています。ご了承ください。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻167頁
[社格]村社
[住所]三井郡金島村大字中川字川東
[境内社(御祭神)]水神社(徳満神)、印鑰神社
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(2019.09.07訪問)