松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年5月25日(土)の日録。

国公私立ぜんぶ平等に競争したらよいと思うのです。

国立大の学費を年間150万円に――。文部科学相の諮問機関、中央教育審議会(中教審)での伊藤公平・慶応義塾長の発言が波紋を呼んでいる。国立大の学費を現在の標準額の53万5800円から約3倍に引き上げてはどうかという提案で、学費の高い私立大と国公立大の「公平な競争環境を整える」ことが目的という。 

「国立大の学費を150万円に」 慶応義塾長の発言で広がる波紋 | 毎日新聞

 「こういう提案はいつか出てくると思っていた。本来は国に対して、私大への補助金を増やすよう提案すべきで、国立大の授業料値上げを求めるのはおかしい。国に言わされているだけではないのか」。「『私物化』される国公立大学」の編著者、駒込武・京都大教授(教育史)はそういぶかる。

「地方大つぶれる」「減免セットで」国立大学費値上げ提言に賛否 | 毎日新聞

国公立大学の学費を私立並みに引き上げろという提案が波紋をよんでいます。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0a/Management_Expenses_Grants_for_National_Universities_in_Japan.png

毎年政府から交付される運営費交付金は、毎年、前年度比1%削減という効率化係数が適用されて、漸減することとなっている(右のグラフも参照)。したがって、必要な人数の教員や職員を確保できない事態が発生している。これは、国立大学の特徴である少人数教育を年々困難にしつつある(例えば教職・学芸員科目以外における非常勤講師の一斉採用停止など)。このため大学によっては、特に文科系において教員が抜けた場合に補充が行われないという事態が起こり、大学カリキュラムに歪みが発生している。これに伴い、一部では専攻閉鎖等も危ぶまれている。

法人化により一斉に新設された「理事」に、ほぼ例外なく文部科学省の職員が出向している。したがって、法人化は文科官僚のポジション増設になっているとの批判があるうえ、国立大学の理事から理事へとわたりが行われていることも指摘された。また、中期目標の作成、評価制度の施行により、むしろ文部科学省による各大学への関与は増大しているとの見方もある。

国立大学法人 - Wikipedia 

もともとの発端は、社会保障費の増大に押しつぶされるかたちで国公立大学への助成金をカットするための国立大学法人化が行われたことにあります。国公立大学の教員は公務員ではなく、みなし公務員(非公務員化)です。

1970年代の初め、私学の急激な膨張が生じ、昭和45年度から私学の経常費に対する国庫補助が始められた。さらに1975年(昭和50年)には、国からの私学助成を拡充するため、私立学校法59条が改正され、私学振興助成法が制定された(施行は翌1976年)。これと同時に、所轄庁による私立学校に対する監督も強化された。しかし、1975年(昭和50年)の国会附帯決議での「経常費の2分の1を補助する」ことは実現せず、2015年度(平成27年度)において、補助割合は9.9%に過ぎない。 

私学助成 - Wikipedia

この慶応義塾長の発言からはわかりませんが、国公立大学に自活(完全民営化)で「公平な競争環境の構築」を求めるなら、私立大学への私学助成も返上してもらわなければなりません。

小室直樹先生や田中角栄先生の著書・発言をみればわかるとおり、もともと国公立大学の拡充増設がうまくいかず、団塊世代に充分な大学進学先がない事態となったことをうけて、新増設に手間がかかる国公立大学ではなく、私立大学への助成を行うことで乗り切ったわけです。

私立大の数は、1960(昭和35)年に140校だったものが、70年には274校と10年間でほぼ倍増した。国公立大は、合わせても3校しか増えていない。
省令化された大学設置基準も、1963(昭和38)年の中央教育審議会(中教審)の「38答申」によって改正され、それに基づいて私立大の設置認可が進められた。
私学重点策は当初、国からの財政支援が伴わずに見直しを迫られたが、70年代半ばに私学助成法の成立をみると、塩崎の発言のように国も文部省も私学中心の進学者受け入れ態勢を突っ走ったのである。
(略)
昨年10月の経済協力開発機構(OECD)の発表によると、私立の高等教育機関に在籍する割合は日本では79%と、OECD平均(17%)の4倍以上になる。日本の学生たちの私費負担の割合は67%と、OECD平均の31%を大きく上回る。

教育学術新聞70年 其のニ 「私学助成」策の迷走 国庫負担の目標はるかに遠く|私大の力|特集・連載|教育学術新聞|日本私立大学協会

国公立大学に進学できた2割のみが、国家からの交付金で低額な学費の恩恵をうけています。国公私立という枠をとっぱらい完全民営化をもとめ、自由競争にするのはけっして悪くない話です。

「150万払えないと大学に行けないのか!」というより、子供の学位(大卒の肩書)のため私学に150万払っている親のほうが大多数という点は、考えてみる必要があります。

ただ「貧乏だけど学業優秀」という希少種はかならず一定数は存在するわけで、救済策は必要でしょう。

師範学校は、卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず生活も保障されたので、優秀でも貧しい家の子弟への救済策の役割も果たしていた。師範学校→高等師範学校→文理科大学というコースをたどれば、学費無料で中等学校→高等学校→帝国大学というルートに匹敵する教育が受けられたため、経済的な理由で進学を断念せざるをえない優秀な人材を多く吸収した。 

師範学校 - Wikipedia

採用後は国家公務員となるため、給与や被服が支給される。2018年11月30日現在、学生手当は月額115,800円、賞与(6月と12月)が年額387,930円と自衛官候補生よりもやや低い。自衛隊法に基づく職務専念義務によりアルバイトなどの副業は禁止されている。

防衛大学校 - Wikipedia

こういうケースが参考になるのかなという気がします。官吏・軍人・教員・技術者、というか広い意味での幹部公務員養成学校で、国家・地域を担う人材育成であれば、特別扱いの理由もたつのではないでしょうか。

 

25日の記録。

今日も朝から高良山登山に行きました。

下山後、知人との待ち合わせ場所に向かう途中で、久しぶりに大龍ラーメンに入りました。チャーシューメンをいただきます。いつの間にか980円になっていました。700円くらいだった気もするのですが、値上がりしますね……。

大龍ラーメン 東町ベルモール店 (だいりゅうらーめん) - 西鉄久留米/ラーメン | 食べログ

当然のようにスープまですべていただきました。

貧しみのつよい食生活なもので、たまにちゃんと作ったラーメンを食うと身体中にしみわたります。

帰宅後、服を脱いで洗濯機をまわし、登山靴を洗うため浴室に入ると、なんと榊の種から発芽していました。昨年ついた実はほとんどが落ちてしまい、残る2つをピートモスの発芽用土に埋めておいたのですが、1つから芽が出ています。

以前から、自分の信仰のためにいくら植物であっても一部を切り取るという行為が許されるのかどうか?と考えていました。自宅にいたころはこんなこと思いつきもしませんでしたが、店で買ったり、従弟宅でもらってくるようになると、せっかくいただいた生命の一部を月2回棄てるのか?と思うようになります。

切り花剤とか石灰とか界面活性剤とかいろいろ延命のため試すようになり、年数回の交換まで減らせるようにはなりましたが、やはり一番は、根っこのついたままお供えすることだろうと思います。挿し木をためしては失敗し、なんとか実生が一つだけどうにかなりそうな雰囲気です。

と言っても、1つだけでは左右に置けません。

今年ついた花に来年実がつけば、それでまた発芽を試そうと思います。

 

高良山に登る。(025)

西鉄甘木駅の駐輪場に5時に到着しました。

今日は午後から別件で知人と会うため、早めに高良山登山に向かいます。

電車はまだ準備中です。5時半の始発は、5分前から改札開始でした。

日ごろから乗りなれているひとは入場が5分前からと知っているようで、ギリギリになってから数人が到着しました。5時過ぎにやってきて缶コーヒー片手にぼーっとしているおっさんは私一人。待合にひとが居ると思わなかったのか駅員さんが驚きます。

今日は、時間があるためじっくり山中を徘徊します。

追分バス停に到着しました。高良会館(社務所)が見えています。先日はじめて気づきました。

いつものように大正時代に建てられた鳥居をくぐり、まず高良御子神社に向かいます。

高良御子神社と坂本神社で、今日の安全をお願いします。

今日は、オルレコースから高良山に登ります。

「妙見神社」は、江戸時代までは「妙見宮」でした。明治になり神社として届け出るさい、いちどは高皇産霊神を祀る「高木社」としたものの、地元民の記憶は動かしがたく、ふたたび「妙見神社」の扁額がかかっています。案内板では、妙見菩薩として高皇産霊神を祀るとあり、届け出た内容との整合性に苦労している様子がうかがえます。

つづいて琴平神社にお参りします。

吉見岳の展望所で休憩します。黄砂なのかなんなのか、今日はかなり見通しがよくありません。

時間がありますので北谷コースを降りて、高樹神社にも手を合わせます。

高良山|最新の山行記録と登山ルートやアクセス、気象状況など-ヤマレコ

高良山ハイキングコース案内(登山地図)

「神籠石コース」は、南谷水門跡から神籠石沿いに歩くコースとされています。以前から複数のホームページで、微妙に経路が違うことに気付いていました。

どう違うのか、歩いてみることにします。

水門跡の対岸から、左と右にそれぞれ踏み跡があります。どうやら両方とも使われているようです。

神籠石沿いに坂を登っていきます。

青が今日のGPSログ、オレンジが5月11日のGPSログです。神籠石沿いに歩く点を重視すれば青の経路、ショートカットでさっさと歩きたいならオレンジ、と言った感じでしょうか。

即心上人墓で手をあわせ、大学稲荷に向かいます。

いつもは正面から画像を撮影するのですが逆光となるため、違う場所から社殿を撮影してみました。福岡県神社誌では「倉稲魂命」を祀る「稲荷神社」となっています。大学稲荷神社なのに「倉稲魂神社」という扁額がかかっているのは、過去にいろいろと社号の変更があったことがうかがえます。

元宮である俗称「小学稲荷」の狐穴にもお参りします。ほんとうは屋根の下でかがんで拝まないといけないのでしょうが、腰が痛いので屋根の外からで勘弁してもらいます。

つづいて、鎮香丸稲荷にお参りしました。

いつもなら神籠石コースに再合流して高良大社を目指すのですが、今日は時間がありますし、車道にほとんど車がありません。車道を歩いて高良山林道(林道高良山線)に合流します。

高良内コースから高良大社を目指します。落ち葉でわかりにくくなっていますが、巨石を階段状に削って登山路にしています。裏がゴム製の登山靴なのでサクサク登れますが、むかしのひとは草履だったり下駄だったりしたわけで、よくこれを登れたな……という気がします。

高良大社に到着しました。

境内に居る参拝客はどうみても早朝ハイキングの皆さんだらけです。

石段下からは若い男性たちの声がします。車道を歩く途中で追い越していった部活の生徒さんでしょう(多分)。

失礼ながら尻を向けて賽銭箱の前から撮影してみました。久留米市街の中心部より少し北側に視線が向いていることがわかります。どうやら久留米城に向いているようです。城の守り神として、社殿をそういう方角に建てたのか、当時の城下町がいまより北に中心があったということか……。

「高良玉垂宮」の扁額を見上げると鏡があります。いつもこの鏡を目当てに二拝二拍手一拝をします。

社殿裏手の山から尾根コースで奥宮をめざします。

住厭城跡です。

城がある尾根には高良大社が鎮座していたが、南北朝時代に大社を現在地に移し、その跡地に山城を築いたのが住厭城の由来とされる。1336年(延元元年・建武3年)、肥後国の菊池武敏が住厭城と別所城(毘沙門岳城)を本拠地にして大宰府の少弐氏を攻撃した記録があり、『高良山地名之事』には「菊池氏ハ千五百騎ニテ籠城也(菊池氏は1,500騎にて籠城なり)」とあることから、それまでには城が存在していたことになる。

住厭城 - Wikipedia

「城に住み飽きるってどういうことだよ」と思っていましたが、むかしはここが玉垂宮であり、のちに現在地に移ったとのこと。つまり神様が住み飽きた場所に人間が城を建てたことになります。山の頂上であり、たぶん360度ぐるりと全方位がよく見えたのでしょうが、現在はほとんどが杉と雑木山です。

久留米成田山や、広川、筑後市方面に視界がひらけるのみです。

尾根コースから車道に合流して、奥宮に向かいます。

複数のかたがお参りされていました。今日も安物ですが線香をお供えします。

線香 清芳 - 【公式】鳩居堂オンラインショップ

線香を納めるプラケースのなかを確認すると、私が先日持参した安い線香の横に、1万超えの高級線香がお供えされていました。私なんて500円台の線香を毎回持参するくらいで生活キツキツなのに、あの鳩居堂というだけで頭がくらくらしてしまいます。

とうぜん、こんな畏れ多い線香なんて使えません。先日持参した化粧品の匂いがする線香で献香します。

帰りはいったん林道に出て、後谷登山口に向けて下山しました。

案内板横の猿田彦さんに、今日の無事を感謝しました。

GPSログは10km超えなのですが、アプリだと8.3kmとのこと。さすがに誤差ひどくない?とは思いますが……。