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仏さまのところが、お寺さんの入口です。
平山観音
高野山真言宗
本尊 十一面観音菩薩
由緒 寿永3年(1184年)壇ノ浦合戦で敗れた平家の落人は、平山の地に隠棲し一族の菩提を弔うため回向堂を造りました。そして、天明の頃小倉藩小笠原家の一人の姫君が継母にいじめられ、行場ともなっていた境内の小滝の傍らに捨てられました。そして姫君は、哀れにも蚊の群れに刺され息途絶えてしまいました。後日、亡骸は里人によって発見され、鄭重に葬られましたが、この話を聞いた姫の乳母は、冥福を祈ろうと小滝の傍らに庵を建てました。しかし、悲嘆のあまり体も衰弱した乳母は「わらわの乳房の一つを可愛い姫に捧げ、他の一つを乳の乏しきに悩む母達に捧げん」と言い残して息を引きとりました。その後、姫にゆかりの家臣や、長門・周防からも多くの参詣人が訪れていましたが、明治になると寂びれてしまいました。しかし、大正時代には再び参詣者も増え、浄財にて観音堂が建立されました。終戦後、高野山真言宗に属し、本山直轄の寺院となりました。
平山観音院[高野山真言宗][福岡県北九州市門司区]-お寺めぐりの友
昭和16年(1941)、高野山の直轄寺院、高野山真言宗門司別院となる。 昭和22年(1947)、正式に寺号「平山観音院」と称するようになった。 本堂は昭和41年(1966)の建立。
寺伝によれば、この地は壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落人が住み着き、観音堂・釈迦堂・お宮などを建てて壇ノ浦に沈んだ人々の供養をしてきた場所であるという。
このシリーズは「神社めぐり」ですが、ふと気が向いてお寺を訪問することもままあります。子授け祈願で以前名前を聞いたことがあった平山観音まで、歩いてみることにしました。
車で数分のところには淡島神社があり、子授け祈願の寺社が多い印象です。
人生訳あり物件でいまさら子授けどころではないため、御挨拶程度とかんがえて訪問したのですが、訪問日の夜、従兄夫婦の懐妊が発覚しました。家族親族のためにお参りしてもよいかもしれません。
子安大師像とあり、弘法大師さまがお子さんを抱えておられます。
観音下池に沿って石仏さまに黙礼しつつ歩いていきます。
入口に、「真言宗」「平山観音院」「平山観音霊場」と石碑があります。
赤い鳥居をみつけたので、石段を登ってみることにしました。「お角大明神」と扁額にあります。
御神狐像があるところをみるとお稲荷さんのようでもありますが、そうではないかもしれません……。
お角大明神にお参りして、ふたたび来た道を戻ります。
池の向こうにみえるのは「客殿」とのこと。 夏は睡蓮がみごとだそうです。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.11.01訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。