第415回定期演奏会 || 公益財団法人 九州交響楽団 -The Kyushu Symphony Orchestra-
九州交響楽団 第415回定期演奏会~名匠・秋山和慶 後期ロマン派の真髄~
日時:2023年9月7日(木)午後7時開演(開場18:00)
会場:アクロス福岡シンフォニーホール
[出演]
指揮:秋山和慶
管弦楽:九州交響楽団
ピアノ:伊藤恵
[曲目]
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
ブルックナー:交響曲 第9番 ニ短調(1894年初稿・ノヴァーク版)
[ソリストのアンコール]シューマン:「子供の情景」作品15から「トロイメライ」
ブルックナーを聴いて泣けたのは、朝比奈先生以来でした。
その朝比奈さんも最晩年、2001年のブル8とブル9はやつれて背後からみて指揮ぶりもおぼつかなくなり、別の意味で手に汗握る展開でしたが、すくなくとも同じ年の大フィル福岡公演(ブルックナーの5番でした)あたりまでは、ブルックナーの良さを感じて気持ちよく帰路についたものでした。
冒頭から、不思議なことにあのころの記憶がよみがえります。
いつもはアクロス福岡のボケボケ音響と馬鹿にしていますが、この7日にかぎれば、まったくそういう雰囲気はありません。どこか違うホールで聴いているかのようです。
Symphony No.9 in D minor, WAB 109/143 (Bruckner, Anton) - IMSLP: Free Sheet Music PDF Download
楽譜の一部をみてもなんのこっちゃ、というかたは、以下の動画をご覧ください。
Bruckner: Symphony No.9 Karajan / Wiener Philharmoniker ブルックナー:交響曲第9番 カラヤン / ウィーンフィル - YouTube
Bruckner: Sinfonie Nr. 9 mit Günter Wand (2001) | NDR Elbphilharmonie Orchester - YouTube
63小節目、最初の頂点で、泣けます。
まさかここで泣けるとはおもわず、我ながら驚きます。
この感想は、演奏会当日からほぼ1日経って書いています。SNSやネットの反応も好意的なものから「粗野」とするものまでいろいろあり興味深く眺めていましたが、これもどこか既視感があります。朝比奈さんのブルックナーに対する反応とそっくりです。
音を出させ、てっぺんで合わせてバランスを構築していく。刈り込まないアプローチは、どうしても「雑」という批判がつきまといます。朝比奈さんの存命中もそうでした。
しかし、晩年になるほど流ちょうな音楽を書くようになったとはいえ、やはりブルックナーは本質的にゴリッゴリの荒っぽさを内包していますから、刈り込むと「らしさ」が消えます。往年の朝比奈さんが重視し、今回、秋山さんがねらったのはおそらくこの「らしさ」の表現で、私は成功例として聴きました。
おそらく曲全体としての頂点は第3楽章ということになるのでしょうが、ブル9の中身そのものは第1楽章に集約されています。このあたり、先行するベートーヴェンの「第九」にそっくりです。
前作であるブル8の第1楽章が悩みながらさまよって終わるのと違い、調性がわからない(じっさいにはニ調)大音響で決然と終わらせる態度に、ブルックナーの割り切りがみてとれます。念のため書くと、ブル8初稿の第1楽章は明るく終わります。「闇から光へ」の構造を明確にするため、現行版では悩んで終わるかたちになりました。ブル9第1楽章の終結は、周囲の目を気にすることもなくなった、最晩年の作曲家の境地なわけです。
「らしさ」を求めるのではなく、ブルックナーを取り上げるのが一般化したいま、曲そのものの機微を聴かせるアプローチもありえます。先に動画のリンクを貼ったカラヤンもそうです(一緒に貼ったヴァント大先生と聴き比べれば、曲に向き合う姿の違いがわかります)。朝比奈さん亡き後、ほぼそういう実演しか接しておらず、そちらのほうがすでに主流となりました。
そういう意味ではこの日の演奏はまさにold-fashionの最たるものだったわけですが、それがまたしみじみとした感情をよび、泣けます。
むろん、7日の秋山さんと九響による演奏は、朝比奈さんやヴァントをほうふつとさせるアプローチではあっても、朝比奈さんでもヴァントでもありませんから、おのずと違いはでます。
より、ブルックナーの四角四面の様式美というか、評論家のいうブロック構造を意識しています。適度に自然でありつつ、しっかりとゴリゴリ感をのこしています(イメージとしては4番「ロマンティック」の第4楽章の延長っぽい)。ブルックナー本人が曲を改訂するたび、とにかくゴリゴリの部分をなめらかに書き直してきました。9番の場合、朝比奈さんも晩年になればなるほど、それを意識して、曲のなめらかさを強調するようになります。根底にある無骨さは、姿をひそめていきます。
今回の演奏は、この点が違います。
或る意味、朝比奈さんを超えたともいえるし、もしかするとこれが通過点で、いずれ秋山さんも朝比奈さんの境地にいたるのかも、ともかんがえてしまいます。
おそらく、秋山さんにとっても九響にとっても、これが到達点というわけではないでしょう。
この9番へのアプローチがたまたま成功なのか?
ほかの曲でも「らしさ」が味わえるのか?
全曲やって欲しいと贅沢はいいませんが、5・7・8・9、せめてこの4曲は、1年に1曲、取り組む機会がつくれないものかとおもいます。
最後まで朝比奈さんを引き合いに出して恐縮ですが、東響50周年ということで1993年から1996年にかけて、8・7・5・9と年1曲ずつブルックナーに取り組んだのをおもいだします。九響75周年?77周年?にむけて、5・7・8・9プラス4とやれば、よいイベントになりそうな気がするのですが。
いまごろ言っても、スケジュール編成的にどうかという気もしますが、ぜひ、かんがえていただけたらとおもいます。
前半のピアノ協奏曲、伊藤恵さんで聴くのもひさしぶりでした。
優しい懐かしみのある雰囲気で、幸せな気分になれました。
それにしても1日経っておもうに、前半後半なかなか毛色が違っていた気がします。