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福岡県神社誌には「的原神社(的原宮・的原明神)」として次の3社の記載があります。今回集中的に訪問してみました。
716 無格社 的原神社 宗像郡東郷町大字田熊字嶋淵
3307 村社 的原神社 宗像郡神興村大字八並字山中【今回はここ】
3309 村社 的原神社 宗像郡神興村大字村山田字梅寺
正面側参道の鳥居は「的原宮」とあります。
いっしゅん、諏訪大社の梶の葉紋かと驚いてしまいますが、根元の足が3本なので、宗像大社の楢の葉紋だとわかります。
本殿の上に彫られた御神紋は、似ているといえばそうだし、違うような気もします。だいいち足3本がありません。これはいったい……。
的原神社にまつられる庚申塔 福岡県福津市八並 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
すでに庚申塔については詳しい解説がありますので、上記をご覧ください。
庚申塔のよこにお宮がありますが、誰をお祀りしているのかがわかりません。
754 無格社 天満神社 宗像郡神興村大字八並字吉原
755 無格社 須賀神社 宗像郡神興村大字八並字小田ノ浦
756 無格社 貴布禰神社 宗像郡神興村大字八並字山ノ後
757 無格社 厳島神社 宗像郡神興村大字八並字山ノ後
福岡県神社誌によれば、神輿村の八並地区には複数の無格社があります。そのなかのいずれかが、ここに移転してきているのかもしれません。
社殿正面向かって右側に、境内社が並んでいます。
画像左側から、須賀社、厳島社、貴船社、天満宮です。
福岡県神社誌. 上巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
上巻162ページから抜粋。
福岡県神社誌を確認すると、なんとこの神社、三種の神器があることになっています。
そして、由緒もなかなかすごいことが書いてあります。
大国主と田心姫、湍津姫がこの地で暮らしていたが、速玉男・事解男・イザナミさんが鷹の姿でやってきて、大国主はこの地を譲り、妃ふたりは宗像大社に移ったというのです。
まず重要な点は、田心姫、湍津姫とも「后」ではなく「妃」であるということ。大国主が抱える複数の女性のなかのひとりだったことがうかがえます(ほんと古代は多妻制ですね……)。
そして次は、「熊野権現」がなぜか「鷹」の姿で乗っ取ったことになっていること。
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
別の伝承では祭神忍骨命の降臨した地とされて山上に一祠が建てられたのが起源とも云う
鷹の姿で降り立ち、ぶっ殺して大国主を出雲に押し込んだのは高木大神と天之忍穂耳であり、宗像大社は主の大国主が欠け、市杵島姫を筆頭に嫁さんメインで祀る神社として、存続していくことになります。
それにしても、速玉男とは大幡主(神皇産霊神、博多のお櫛田さん)、事解男とは金山彦のことですから、1世代か2世代上のみなさんに乗っ取られたことになり、責任を押し付けるにしても、ほかの神様もあるような……。
福岡県神社誌:上巻161頁
[社名(御祭神)]的原神社(大己貴命、味鉏高彦根命、下照姫命)
[社格]村社
[住所]宗像郡神興村大字八並字山中
[由緒]当社は宗像七十五社の一也旧記に大己貴命、更娶田心姫命、湍津姫命為妃鎮座此山嶺于時伊弉冊命、速玉男事解男三神為三鷹自東飛来止此峯三鷹変作石像頭身足翅皆備如真見在大己貴命譲此峰於三神自率田心姫湍津姫二妃降居山腹爾後三女神移宗像宮大己貴命遷許斐山とあり当社を言ふなるべし明治五年十一月三日村社に定めらる同十年丑五月宗像神社の摂社となる。
[境内社(御祭神)]貴布禰神社、天満神社、厳島神社、須賀神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.09.07訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。