今日の運動経路(山中でヤギに遭う編)
戦後開発された新興住宅地より、戦前からある地区・集落のほうが、圧倒的に神社がのこっています。
いまさら言うことかと叱られそうですが、そういう地区・集落は、過疎化がすすみ、バス路線もろくにありません。かと言って、勝手に事務所のクルマをうごかすわけにはいきませんし、自宅からノコノコ車で通勤して、誰も払ってくれない時間貸し駐車場代を自腹で払うわけにもいきません。
はい。近くまで行って、歩くしかありません(お約束ですね)。
今回は午前中で切り上げ、古賀市の薦野(こもの)地区と福津市の舎利蔵(しゃりくら)地区を歩きました。
今日はJR古賀駅から薦野行きの路線バスに乗りました。転回場の隅にバス停のポールが立っています。振り返って乗ってきたバスを撮影したら、ちょうど運転手さんが休憩のため外にでてきたところでした。運転手さんが写りこんだところだけ、修正しています。
歩くこと十数分、古賀市と福津市の境界にたどり着きました。
舗装をやり直す工事の真っ最中でした。とにかく照り返しで暑いです。
市境を超えて福津市側にはいると、補修工事の対象ではないらしく、路面がごつごつしています。トラックや自家用車がどんどんとおります。
電柱に監視カメラがついていたので場所は撮影しませんが、カーブは飲みかけのペットボトルやいろいろなゴミが散乱していました。どうやら路肩に車を寄せて、そのままゴミを投げ捨てているようです。
右に曲がって、福津市の舎利蔵地区にはいります。
かって「秘境」と呼ばれた舎利蔵は昔ながらの自然が味わえる場所です。
舎利蔵の地名は仏舎利(お釈迦様の遺骨)に由来しており、この地に舎利山勝宝寺(しゃりざんしょうほうじ)という寺があり仏舎利を安置し、当時は子院を15坊もかかえる大寺であったそうです。(略)今は廃絶し観音堂と小庵2宇を残すのみで当時の面影はありません。
舎利蔵地区にはいってすぐ、天降神社があります。
このあと紹介する、薦野の天降神社境内にある案内板です。
さきに答えを書いてしまうと、薦野の天降神社が元宮で、薦野村、米多比(ねたび)村、舎利蔵村の氏神さまでした。
峠をはさみ位置的に遠かった舎利蔵村につくった分社が、この天降神社というわけです。
明治になり、薦野村と米多比村は周囲と合併して糟屋郡小野村(現 古賀市)となり、舎利蔵村は周囲と合併して宗像郡上西郷村(現 宗像市)となります。
舎利蔵公民館を過ぎてひとどおりのなさそうな林道を歩くと、勝宝寺跡に出ます。
お堂2つと、いくつかの小さな祠がのこるのみで、むかし僧坊を15か所も抱えたお寺だったとはおもえぬ雰囲気です。
現地案内板によれば、境内の「ナギ」は樹齢800年を超えており、インドからはるばる運ばれてきたものとのこと。
お参りして来た道を下る途中、もう堂宇もみえないしこのくらいいいだろうと、こっそりおしっこをしていたら、急にハチの羽音みたいな音が背後からしはじめました。風も吹いてきて、枯れ枝や葉っぱが体にあたります。
どうやらハチではないようです。不気味です。
むかし、出口王仁三郎という宗教家がいました。彼は神霊がうごくときはハチの羽音に似た音がするといい、ハチの羽音が聞こえたら、講演を途中で切り上げてその場から逃げたといいます。
どうも神様がお怒りのようです。
道の入口にあった石碑(もとは仏さま?)に手をあわせ謝罪すると、それ以降、風もなくなりハチの羽音も止まりました。
(この文章。完全にオカルトじゃないですか。さらにアクセスカウンタ減るな、どうしよう。よわったな……)
iPhoneの「スーパー地形」アプリで地理院地図を確認し、次の目的地までの経路をかんがえていると、目のまえでなにかが動いています。
地元のかたが不審者に誰何しにきたのかとおもい顔をあげると、鹿にしては小さいのが、木の皮や葉っぱをかじっています。
なんと、ヤギです。しかも5,6匹で集団行動しています。
野良ヤギ?放し飼い?
ため池沿いに道があるはずなのに、ため池はなく、道も跡形もありません。どうしたものでしょうか。しかたがないので、もと来た道に迂回することにします。
20分かけて、ぐるりと迂回しました。ため池の周囲に田んぼがあり、田んぼに向かう道は現役です。隣の集落に行くことがなく、誰もとおらず、利用がない部分はすたれてしまったのでしょう。
高台から薦野地区や米多比地区を見下ろします。じつに素晴らしい眺望です。
地理院地図には鳥居マークがあり、googleマップでは薬師堂とあるのでどちらだろうとおもいつつ、現地へ向かいます。
鳥居のある薬師堂でした。境内には複数の石祠やお宮があり、本格的です。
もしかするとこのお寺の鎮守としてつくられたお宮だったのかもしれません。
「瑠璃光」とありますので、御神体ではなく、仏さまです。本尊は薬師如来で間違いありません。
「拍手ではなく合掌です」の注意書きもあります。
山をおりて次の若宮神社に向かう途中、自販機をみつけたのでゼロコーラを買って、休憩しました。
目の前を川がながれており、軽登山姿の男女が川に足をつっこんで涼み、休憩していました。
キモい不審者が、ゼロコーラ飲みながら壁にもたれかかってぐったりしているのがよほど面白いらしく、目をあわせぬようにして笑っています。
文句言う気力もありません。
だれがどうみても、不審者そのものですからね……。
つぎの若宮神社は、googleで事前に検索した情報では、石段が痛んで踏面がかたむいており、拝殿がボロボロとのこと。踏面が傾いた石段なんて怖くて使いたくありませんから、地理院地図に掲載の別経路から、境内にはいります。
拝殿はボロボロどころか、解体されていました。
踏面のかたむいた石段を慎重におり、鳥居を撮影します。
おそらく現地のみなさんもこの石段をつかっていません。ため池に向かう坂道をのぼり、私がとおった堤防を歩いて神社境内にはいっているはずです。
この池、錦鯉の養殖をしていたようで、境内に釣り禁止の看板が放置(放棄?)されていました。
古賀市薦野の天降神社にたどり着きました。
境内で地元のみなさんがグラウンドゴルフ?ゲートボール?を頑張っておられたので、なるべく写りこまないよう、角度をかえながら境内を撮影しました。
社殿の彫刻は江戸時代中期のもので、市内でも随一のものと案内板にあります。
飛天像も龍の彫り物も立派です。
当初の予定では、このあと1kmほど離れたほかの神社を訪問する予定としていましたが、さすがに疲れてきました。足の疲れがくる前に、気温のたかさで頭痛がしてきます。
予定を変更して、同じ薦野地区にある八幡宮を訪問して打ち切りとし、本日の散歩は終了です。
米多比バス停から、JR古賀駅まで戻り、そのまま事務所に寄らず、帰宅しました。
7.4km、2時間半歩きました。
次回以降の予定
最終的に何回に分割するかはわかりませんが、今後も薦野や米多比周辺の踏査を行う予定です。ただ、次回以降はどう考えてもちゃんとした軽登山の服装で挑むことになるため、間隔はあくだろうとおもいます。
まぁ、気長にお待ちください<(_ _)>
どうもいろいろ調べていると、江戸時代に伝染病が流行して、感染源をうたがわれたひとたちが信仰していた不動明王をかついで山中に逃げ込んでいたのを、発見した村人が暴徒と化し私刑をくわえた場所とかが、あるようです。
そういうところに縁もゆかりもないはずなんですが、コロナで自粛警察だの武漢ウィルスだの根拠がどの程度あるかわからない話に踊らされてカンカン踊りをしているひと、いっぱいいます。
あまり近づきたくはないものの、他人ごとではない気もするのです。