美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

久留米市高野1丁目 八幡神社(高野産八幡宮)




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いきなりで恐縮ですが、この神社を兼務している神社のホームページ、現地案内板、福岡県神社誌の抜粋を掲載します。

高野産八幡宮 - 櫛原天満宮(福岡県久留米市)

【ご祭神】
應神天皇 (おうじんてんのう)
【歴史】
詳しいことがよくわかりませんが、伝えによると、朱雀天皇の承平2年(933)、一品兼基王が建てた神社で、久留米旧城郭内にあったそうです。お城の鬼門にある隅の神社として、代々旧藩主の信仰があり、寛永2年(1632)有馬豊氏公が社殿を再興しました。明治6年(1873)3月14日に、村社という社格を与えられました。
社名に「産:うみ」と付くことから、お参りすると安産とも言い伝えられています。

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引用した3者に共通するのは、(1)元は篠山城(久留米城)内に存在した(2)久留米藩初代藩主であった有馬豊氏公により、鬼門にあたる現在地付近へ移転 ということくらいです。

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筑後川の治水事業の歴史(明治~昭和初期の主な治水事業) 筑後川河川事務所 国土交通省 九州地方整備局

戦前の地図と比較してみると、筑後川改修で付け替えられたさい、お宮の場所も少し移転していることがわかります。

筑後川の洪水の歴史 筑後川河川事務所 国土交通省 九州地方整備局

明治以前の洪水として残されている一番古い洪水は、大同元年(806年)で、「太宰府管内で水害と干ばつにより田園が荒廃し、筑後の国1ヵ年田租を免ぜられる」とあります。さらに天正元年(1573年)から明治22年(1889年)至る316年の間に183回の洪水記録があります。
このように平均2年に満たない期間に1回の割合いで洪水があり、享保・宝暦の強訴、天明の暴動など、農民の怒りが爆発したことも数度。それはいつも水害による不作と堤防構築などの不満から起こったもので、いかに筑後川の洪水に悩まされていたかを物語っています。

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旧社地は、おそらくこの辺りの水面の下でしょうか。

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現地は国道3号線に沿ってでかでかと社号標が掲げられ、名前を迷うことはありません。国道との間は、将来の車線拡幅に備えて、敢えてセットバックされています。

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筑後川花火大会 - Wikipedia

1650年(慶安3年)に久留米藩の藩主である有馬忠頼が水天宮社地に社殿を寄贈した際、その完成祝賀にあたって花火を奉納したことに起源を持つ。その後は「水天宮奉納花火大会」として、混乱や戦争等による9回の中止を経ながら1965年(昭和40年)に現在の名称となる。

筑後川花火大会は例年8月5日に開催されるのですが、西鉄電車の宮の陣駅から会場まで歩く途中、何度か訪問させていただいたことがありました。

狛犬も灯篭もそれなりに年代物なのに整然とした境内で違和感がありましたが、もともとあった場所から現在地に移転したものであれば、納得がいきます。

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さすがにぜんぶ鉄筋コンクリート造りでは神社らしくないと感じたのか、一部には元の社殿で使われていた装飾がはめこまれています。

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背後の本殿も、どこか新調されたものにみえます。

どこかに年号が彫られているものですが、近づけず読み取れません。

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正面向かって右脇に、境内社の天満宮が鎮座しています。ひげを伸ばした菅公さんが、徳利とぐい呑みに囲まれていました。どうやら酒好きという扱いのようです。

天満宮の左隣は、遷座改修記念の石碑で、現地訪問時はどこから遷座したときの記念碑なのかわからなかったのですが、現地を出て、むかしの地図を念のため確認して理解しました。

宇美八幡宮(公式ホームページ)

宇美八幡宮 - Wikipedia

ふつうに考えれば「産八幡宮」という社号の由来は、粕屋郡宇美町の「宇美八幡宮」とのご縁だろうと推測してしまいます。宇美八幡宮は、平安時代には石清水八幡宮の支配下に入っており、皇室に近い正統な八幡宮の元締めとして、勧請元として機能していたからです。

ところが、兼務している神社のホームページでも、「詳しいことはわからない」とされており、このあたりの由来をあきらかにした資料は、どうやら逸失してしまっているようです。

福岡県神社誌:中巻153頁
[社名(御祭神)]八幡神社(応神天皇)
[社格]村社
[住所]久留米市高野町字宮ノ脇
[境内社(御祭神)]天満神社(菅原道真)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.03.13訪問)