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明治15年(1882年)に現在地へ移転とあります。それ以前はどこなのかと思っていたら、どうも現在の犬山城天守台のあたりにあったようです。織田信康が犬山城をつくるにあたり一度移転し、明治に廃城となって、再度現在地に移転してきたということでしょうか。
御祭神の尾治針名根連命(おわりはりなねむらじ)とは誰でしょうか。まず九州・福岡でお目にかかったことがありません。
主祭神の尾治針名根連命(おはりはりなねむらじのみこと)は、尾張氏の祖先神で尾張国一宮の真清田神社の御祭神でもある天火明命(あめのほあかりのみこと)の十四世孫にあたり、父の尾綱根命とともに犬山市の針綱神社にも祀られている。古代豪族尾張氏の氏神と考えられております。
天火明命とは、山幸彦や猿田彦という別名も持っている饒速日命(にぎはやひ)のことです。
過去の日記で書いたとおり、真清田神社や国府宮を訪問して、おそらく天火明命ではなく大己貴(大国主)やその義父 大幡主がほんとうの祭神なのではないかという疑問を抱いています。尾治針名根連命は、大己貴や大幡主に遡れる一族だったのではないでしょうか。
むろん、伝承のとおり饒速日命でもあまり差はありません。饒速日命の父は大幡主 母はのちの天照大神(卑弥呼)ですから、むしろこちらのほうが伝承と合致しやすく感じます。
江戸時代は「白山妙理権現」「白山針綱大神宮」と称していた
菊理姫命とは妙見様であり大幡主の姉 天之御中主のことですから、江戸時代には偉大な先祖の名前を前面に出して営業?していたということなのでしょう。
[社名(御祭神)]針綱神社(尾治針名根連命、玉姫命、建筒草命、建多呼利命、伊弉諾尊、菊里姫命、大己貴命、建稲種命、尻調根命、大荒田命)
[現住所]愛知県犬山市犬山北古券65-1
[創建年]天文6年(1537)、慶長11年(1606)名栗町へ、明治15年現在地に移す
(2020.11.07訪問)