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大元稲荷神社を出て、もうひとつの造化宮を訪問しました。
案内板を読み、卒倒しそうになります。
教祖は饒速日(にぎはやひ)の子孫と案内板にあります。饒速日とは猿田彦の別名であり、山幸彦や彦火火出見尊(ひこほほでみ)という名前でも有名です。
なぜお稲荷さんが教祖宅に代々伝わる屋敷神なのでしょうか。
饒速日の妃のひとりが豊受姫こと、天細女(あめのうずめ)だからです。
お稲荷さんと外宮は同じ豊受姫を祀る神社なのに、ずいぶんと体裁がことなります。あらためて考えてみると、お稲荷さんのほうは、豊受姫の母 罔象女神(みずはのめ)含めた祭祀であり、原型なのです。神理教教祖は、判ったうえで箔付けに、大元稲荷への外宮の勧請を試みたのでしょう。それでもお稲荷さんの姿を壊さなかったのは、さすが古神道を名乗る見識です。
赤貧が考えて判ることくらい、明治の先達には常識だったのですね……。
教祖が饒速日の子孫とわかれば、内宮ではなく「造化宮」と内宮を換骨奪胎した理由もみえてきます。饒速日(にぎはやひ)の母は、高木大神(高皇産霊神)と再婚する前の天照大神であり、父は神皇産霊神こと大幡主です。天之御中主は大幡主の姉です。造化三神は、言い換えれば、母親の前夫、抜きんでてエライ伯母さん、再婚相手なのですから、内宮をいちだん深化させようとしたとみることができます。
むしろ、私たちが崇神王朝(現皇室の源流)の宣伝に染まってしまっているだけなのかもしれません。天照大神よりも以前の支配階級をあまり大っぴらにすると、簒奪王朝なのがばれてしまいますから……。
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[福岡県神社誌(抄)] 記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.02.11訪問)