美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

朝倉郡筑前町四三嶋 天満宮(四三嶋天満宮)


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訪問したのがまだ7時台だったためか、ほの暗く社殿の街灯も点灯した状態でした。
福岡県神社誌にほとんど記述がないうえに、筑前町史にも記述が少なくよくわからない神社です。しかし、おそらくここは最初から菅公を祀る天満宮ではなかっただろうと思うのです。

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理由は、境内にある園神社(そのじんじゃ)の存在です。
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園韓神社 - Wikipedia

園神社・韓神社のいずれも、平安京の宮中(大内裏)の宮内省において応仁の乱頃まで鎮座した神社である。
(略)
祭神のうち、園神については『古事記』『日本書紀』等に記載はなく不詳。一説に宮内省の園池を守る神ともいう。
(略)
『大倭神社註進状』では、園神社は大物主神、韓神社は大己貴命少彦名命を祀るとするとともに、これらの神は素戔嗚尊の子孫であり疫から守る神であるとしている。
(略)
一方『江家次第』や『古事談』によると、平安京遷都に伴い園韓神社遷座しようとしたところ、「猶(なお)此地に坐して、帝王を護り奉らむ」と託宣があったため遷座は取りやめとなったという。この記事から、創建当初より宮内省近くに祀られたと見られ、宮中36神では最古の神といわれる。平安京の遷都以前に当地を治めたのは渡来系氏族の秦氏であることから、この園神・韓神は元々は秦氏が奉斎した神であったとする説もある。
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大物主とは大山咋の別名で、大山咋の実父が天之忍穂耳で、養父が大己貴(大国主)です。熊襲の頭領のひとりであった天之忍穂耳の実子の痕跡が、ここ、筑前町四三嶋に残っているのです。そして、もう少し推論を推し進めるなら、秦氏が九州から京都に持ち込んだとみて間違いないでしょう。この園神社が元宮だとまでは言いませんが、少なくとも、四三嶋のほうが先にあり、近畿に持ち込まれて宮中で祀られていたのです。
重要性を考えれば、菅公と大山咋をさっさと取り替えて宮中祭祀の元宮だと大々的に売り込めばよい話題作りになると思うのですが……。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻18頁
[社名(御祭神)]天満宮(菅原神)
[社格]村社
[住所]朝倉郡夜須村大字四三島字西浦
[境内社(御祭神)]園神社
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(2019.12.08訪問)