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御神橋も楼門も立派で、境内もかなり広く、相当な格式がある神社なのが訪問しただけでもわかります。
県指定天然記念物の藤棚が参道脇にあり、赤貧がiPhoneで写真を撮っている最中も、複数のかたが散歩に訪れ、社殿に手を合わせていきます。どの方も、横切る途中に社殿のほうに向き直り、手を合わせるといった感じで、おそらく定番の散歩コースとなっているのでしょう。
拝殿の扁額を見て、違和感を感じるのは赤貧だけではないと思います。
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中臣氏 - Wikipedia
古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命を祖とする。
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天児屋根命は、英彦山(日子山:太陽の子が支配する山)を拠点とした海幸彦 天之忍穂耳の別名です。天之忍穂耳が、住吉三神(安曇磯良、崇神天皇、玉垂命=筑紫君)と春日大神(武御雷命)を従えているというのは、どうも不自然な気がするのです。
最もおさまりがよいのは、神功皇后が真ん中で、住吉三神と春日大神を従えている構図でしょう。次は、玉垂命でしょうか。
むろん、江戸時代の神仏習合期にいろんな寺社から勧請してきて、脇にこの両神が残ったのだということもあるのかもしれませんが、どうも奇妙です。
それに、ライバルである山幸彦(猿田彦、五十猛命とも)を祀る神社が周囲をぐるりと取り囲んでいるなかに、ぽつりと海幸彦の祭祀があるという点も、どうもぴんとこないのです。しかも、周囲にはみあたらない大神殿であり、へたな県社よりも風格があります。
ひとつヒントになりそうなのは剣片喰紋で、玉垂命(=筑紫君)が用いた花菱紋(木瓜紋、剣花菱紋)の変型とみなすことができます。ここはもしかすると、玉垂宮だったのかもしれません。そして後世、天之忍穂耳を天児屋根命として祀る一族の祭祀が入り込み、上書きされたのではないでしょうか。
確証はありませんが、どうも謎の多い神社です。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻206頁
[社名(御祭神)]大中臣神社(天児屋根命)
[社格]村社
[住所]三井郡小郡村大字福童字東内畠
[境内社(御祭神)]素戔嗚神社(素戔嗚命、菅原神)
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(2019.11.09訪問)