松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市城南区樋井川3丁目 御子神社

過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25)


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逆光でうまく撮れていませんが、鳥居の石段も社務所に向かう石段、駐車場と立派です。正面の鳥居の扁額は、子の上に3つの点があります。

漢和辞典を引くと、子の異体字のようです。

御子神社(安産と子供の守り神)

◎祭神
正殿 安徳天皇
左脇殿 祇園社
右脇殿 社日社

安産祈願・子供成長祈願・学業祈願・厄除け祈願
商売繁盛祈願・良縁祈願・安全祈願・五穀豊穣祈願

◎例祭
一月一日 歳旦祭
一月二日 お正月
一月三日 お正月
五月二日 春季大祭(八十八夜)
七月二十三日 夏越祭(除蝗祭)
九月 社日祭
十月二十日 秋季例大祭

毎月一日、十五日、祝祭日は日々の平安と今日在ることを神に感謝し、明日からの新たなる御加護を祈る大切な日です。どうぞ御子神社にご参拝ください

祭神はなんと安徳天皇です。

 御子神社がこの地に建立された年代ははっきりしませんが、明治5年11月3日上長尾村社に定められ、古きより安産の神、子どもの守り神として近郷の崇敬が篤い神社です。
御子神社に古くから言い伝えや筑前国続風土記拾遺によると、安徳天皇がある年の大晦日に大宰府から糸島郡吉井に遷御されたさい(安徳天皇御事蹟論にも見られます)、白馬に乗ってこの地区を通り過ぎようとされましたが、誤ってシメ縄に引っ掛かり井戸に落ちたと伝えられています。
この古い言い伝えにより、昔から上長尾地区では、白馬は飼わない、正月のシメ縄は飾らない、また井戸を掘ってはならないと言い伝えられています。
また、御子神社境内には末社の祇園社。豊作の祈願、収穫の感謝を行う社日社を祀ってあります。飛び地境内社として旧シノコに篠子神社(宮司、石橋家自宅内)があります。
【境内の案内板より引用】

福岡市 【西長住校区】御子神社

注連縄に引っかかり井戸に落ちるというのもなかなか想像つきにくいのですが、そう伝承されるような事件がなにか起こったのでしょう。

社殿はなかなか立派な構えをしています。しかも本殿が大きく、見た目に威厳があります。

社殿正面向かって右手に、祇園社と社日神が鎮座しています。画像左が祇園社、右が社日神です。

社殿正面向かって左脇には、お地蔵さんのお堂があります。

村懐の碑

この地は江戸末期、早良郡上長尾村と称し、本村、横内、上横内、鬼木、篠子、今村、大牟田、多屋、棚頭、長浦、藤次郎池、来町の字があった。
◎本村=現在の樋井川三丁目、西長住。◎横内=樋井川六丁目。◎上横内=樋井川六丁目、七丁目。◎鬼木=樋井川五丁目。◎篠子=樋井川四丁目。◎今村=西長住。◎大牟田=長住。◎多屋=西長住。◎棚頭=樋井川三丁目。◎長浦=樋井川二丁目。◎藤次郎池=長住。◎来町=樋井川二丁目
いつの時代から上長尾と称したか定かではないが福岡県史資料によると、天正年間(西暦一千五百七十三~一千五百九十一)の田、畠高は、田三十六、三町、米生産高四百六石。
畠五、三町、大豆生産高四十石とあり、天正以前から上長尾と称していた事がわかる。明治二十二年早良郡樋井川村上長尾となる。(人口二百六十五人。戸数四十四戸)
昭和四年四月一日福岡市に編入。福岡市大字上長尾となる。昭和三十七年五月十日住所表示に関する法律の施行で町名改称が行われ、
◎昭和四十年二月一日 長住一丁目~七丁目
◎昭和四十六年二月一日 宝台団地
◎昭和四十八年七月一日 樋井川二丁目~七丁目
◎昭和五十一年三月十五日 長丘三丁目、五丁目
◎昭和五十三年二月一日 西長住一丁目、二丁目
◎昭和六十年六月十七日 西長住三丁目 となる。
町名改称により失われつつある由緒ある上長尾を惜しみ、その変遷を記し後世に残すものである。

◎江戸末期の福岡藩領の地積は次の通り。
田三十五町。畑十町。山二十三町。人口百九十九人。戸数四十九戸。 

福岡市城南区の「長尾○丁目」に行くと「下長尾」という地名表記があり、じゃあ上長尾があるのか?とおもっていたら、おおよそ「樋井川○丁目」が、それにあたるようです。

 当社の読み方「みこじんじゃ」は通りがかりの人から教えて頂いた。また、ネットの記事にもこの読み方で通っているようだ。一方、『筑前國続風土記附録』にはわざわざ、ふりがなを振って「ヲンゴ」としている。昔はこう読んでいたのかもしれない。

御子神社[神道][福岡県福岡市城南区]-お寺めぐりの友

いつも参考にさせていただいているホームページにこのような記載があります。

御子は「おんご」であったというわけで、そうなると安徳天皇どころか、もっと古い時代の権力者だったのではないか?という疑いもでてきます。

たとえば「白馬」というキーワードからいけば、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)や、神武に背乗りしたミマキイリヒコ(崇神天皇)の伝承ともかんがえられますし、高木大神=天照大御神の入り婿である天之忍穂耳や豊玉彦、大幡主と天照大御神の子 饒速日命(にぎはやひ)も、立派な「御子」です。

もしかすると、安徳天皇にとらわれず、地域の祭祀ぜんたいでかんがえてみる必要があるかもしれません。

福岡県神社誌:上巻95頁
[社名(御祭神)]御子神社(安徳天皇)
[社格]村社
[住所]福岡市大字上長尾字宮山
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
社説に創立は詳かならざるも、古より安産の神として近郷の崇敬特に篤く毎年十月十四日安産祈願特別祭を執行す。
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2023.03.06訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2023年3月7日の日録 - 美風庵だより