ひとは猫に飼いならされたというお話。
猫は「可愛い」を武器に人間を飼いならしたというお話です。
そう考えると、人間はいろんなものに飼いならされています。
イネ科の植物(稲、トウモロコシ、小麦、大麦)とかもそうですね。
高良山に登る。(018)
7日は、知人事務所に出かける用事がありません。
家にいても日記のネタになるような話はなく、どこか出かけるため奇門遁甲を確認します。
午前5時から7時にかけて、南西に10刻1局でみると「己乙:柔情密意」が来ています。かたや60刻1局だと「乙己:乙奇得使」で、さらに開門がついていますから「地遁」です。いちおう「地遁」は「五遁」という最高位吉格の一つとされていますが、どういうときに使えるものなのか、テキストを読んでいてもいまいちわかりません。なかなか巡り合わず私も意識して使ったことはありません。
さらに同じ時間帯は「雲遁」も成立します。これもまた使いにくいことこのうえありません。お情けと憐れみをいただきながらやっていくような感じです。
地遁と雲遁がダブるとどうなるのか(なお、雲遁があるということは乙奇入墓という凶格もついてきます)、実際につかってどういう目に遭うか試すのがいちばんです。
人柱精神がなくては実占はできません。
というわけで、今回も高良山に登ってみることにしました。
今回歩いた経路は、このとおりです。
「冨の寿」の経営者が大正時代に奉納した「高良玉垂宮」の鳥居をくぐり、高良御子神社と坂本神社に、まず今日の安全をお願いしました。
旧王子池キャンプ場から登ったところに、鶴ヶ城という高良山座主の出城がありました。ここ、学生のころ一回よじ登ったはずなのですが、記憶にありません。そもそもどこから上がれるのかも記憶にありません。
地理院地図を見るかぎり、キャンプ場側から登ることができるようです。
オレンジやピンクのテープでつけられた目印とGPSログと突き合わせながら、わかりにくい道をよじ登ります。
廃屋にでました。
ただ、どうも民家という感じではありません。修行のためにここに籠っていた?という雰囲気があります。
鶴ヶ城の山頂(標高158m)を示す案内板があり、なんとその下には、お稲荷さんです。
おそらくは、この場所にはちゃんとした道があったのでしょう。
それが利用者がなくなり、大雨のたび崩落していくにまかせた状態となって久しいように見えます。お大師さまの台座の下もギリギリまで削れ傾いていますし、もとはたぶん違うところにあった石仏も1体が傾いています(この撮影のあと、起こしてまっすぐに戻しました)。
鶴ヶ城まで、実際に歩いた経路はこのとおりです。地理院地図のとおり歩こうとしても、取付く場所がわかりません。道っぽいほかの経路を歩き、どこからよじ登れるのか半周して、なんとか頂上にたどり着きました。
鶴ヶ城跡から下山してみると、ある方向に向けてピンクテープが複数巻かれています。GPSで確認しつつ念のため「スーパー地形」で古い地図と突き合わせてみると、どうやら昭和30年代の地図には記載があった尾根道に取り付く目印のようです。
尾根道は比較的わかりやすく、かつ目印も多いので迷うことはありません。
途中にも小さいピークがあります。
さらに歩くと、王子宮コースに合流します。
戦前や昭和30年代の地理院地図とGPSログを重ねてみると、当時は歩道として使われていたものであることがわかります。なぜ現在はほぼ廃道化したのかは定かではありませんが、みんな車を使うようになり、歩いて登るのはハイキング客だけという状況になってみると、車道にしにくいルートは片っ端からつぶされたと考えるのが自然な気がします。
つつじ公園駐車場までたどり着きました。だいぶつぼみがふくらみ、一部は咲きはじめていました。
まいどながら甘木や英彦山方面を撮影してみました。
「スプライト」と焼き菓子で、休憩します。
奥宮にお参りしました。先日持参した線香がだいぶ減っており、思った以上に献香されるかたが多いのに驚きます。あまり安いのは煙いばかりで香りがありませんし、かといって高いものは低年収貧困層の我が身では破産してしまいます。それなりの匂い線香で、香りがつよくて安いものはありませんかね……。
私は鳥居があるので神社として遠慮なく二礼二拍手一礼をやりますが、中には線香とろうそくがあるのを気にして合掌しているひとも居ます。
車道(耳納スカイライン)を歩いて高良大社に着きました。
高良山茶屋で、肉うどんとお稲荷さんにありつくことができました。
2024年3月16日の西鉄バスダイヤ改正で運行時刻の見直しがあり、このまま下山すると、ずいぶん麓で待つ必要があります。昼食にうどんを食い終わったあと数分ほど思案して、もう何年も利用していない「竹の子コース」を歩いてみることにしました。
ここでよく取り上げる後谷登山口から登るコースではなく、この2階建ての東屋で右折し、保育園の裏手の細い道に出るコースです。
昨年夏に被災した影響で運用休止中となっていたのですが、いつのまにかその看板も見当たらなくなりました。
見当たらなければとりあえずとおってみる。お約束です。
ただ、ほとんどの場所が流出してきた土砂でおおわれており、道が視認しにくい状態でした。完全復活にはほどとおい状況です。
おもての案内板に「運用休止」の貼り紙はなくなっていましたので、とりあえずこれで運用再開したところなのかもしれません。
今回は、7.6km歩きました。