松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

九州交響楽団 第414回定期演奏会

第414回定期演奏会 || 公益財団法人 九州交響楽団 -The Kyushu Symphony Orchestra-

九州交響楽団 第414回定期演奏会
日時:2023年7月27日(木)19時開演(開場18:00)
会場:アクロス福岡シンフォニーホール
[出演]
指揮:沼尻竜典
管弦楽:九州交響楽団
サロメ:田崎尚美
ヘロディアス:谷口睦美
ヘロデ王:福井敬
ヨカナーン:大沼徹
ナラボート:清水徹太郎
ヘロディアスの小姓:山下裕賀
ユダヤ人1:小堀勇介
ユダヤ人2:新海康仁
ユダヤ人3:山本康寛
ユダヤ人4:澤武紀行
ユダヤ人5:加藤宏隆
ナザレ人1/カッパドキア人:大山大輔
ナザレ人2:大川信之
兵士1:大塚博章
兵士2:斉木健詞
奴隷:渡辺玲美
[曲目]
R.シュトラウス:楽劇「サロメ」作品54,TrV215(演奏会形式)

[注]

18:40から、指揮者沼尻竜典さんによるプレトーク(作品解説など)がありました。

「サロメ」の実演を最後に聴いたのは、いつだったでしょうか。2008年に引っ越してきたはてなダイアリー(現はてなブログ)を検索しても演奏会の記録が出てこないため、十数年は実演に触れていないのはたしかです。もしかすると、2002年か2004年の新国立劇場公演以来かもしれません。

そしてもうひとつ。沼尻竜典さんの指揮する姿に実演で接するのも、マーラーかなにか以来のはずで、こちらも20年は御無沙汰です。

 

この日の公演について触れる前に、少々長くなりますが元ネタを「マルコの福音書」から引用したいとおもいます。

実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。

マルコによる福音書 6 | 新共同訳 聖書 | YouVersion

この聖書にあるお話に着想を得てオスカー・ワイルドが「サロメ」という戯曲を発表します。1905年にリヒャルト・シュトラウスがこの「サロメ」のドイツ語版を台本として作曲したのが、27日に上演されたオペラ「サロメ」です。

サロメ (オペラ) - Wikipedia

あらすじまで書くと長くなりすぎますから、上記wikipediaの「あらすじ」をご参照ください。

短い、日本語訳でせいぜい原稿用紙2枚程度のお話が拡大され、肉付けされて約100分ほどのオペラに生まれ変わったわけですが、このお話、みごとなほど登場人物はあたおかさんしか居ません。

まず、キーマンとなるのがヘロディアス(へロディア、ヘロデヤ)。カネと権力に目がくらんで夫を棄て夫の兄弟だったヘロデ王(ヘロデ・アンティパス)の妃におさまります。聖者ヨハナーン(ヨハネ)にふしだらでろくでもない女と市中で吠えられるのが気に入りません(図星ですけど)。

つづいてヘロデ王。市民の人気者であるヨハナーンにうかつなことはできず、それでいてヘロディアスからなんとかしろと詰め寄られ、ヨハナーンを古井戸におしこんで世間から隔離しています。元の妻を棄てヘロディアスを妃としましたがうまくいっている気配はなく、最近はいたくヘロディアスの娘(つまり兄弟の娘)サロメに御執心。ヘロディアスの代わりに自分の隣(つまり妃の座)に座らせようとするほどぞっこん。エロ親父もここまで度が過ぎると痛いをとおりこし恐ろしいことこのうえありません。

なにせ名前が題名だし、出番の量をかんがえると主人公なのですが、物語の背景をかんがえると主人公なのかあやしいのが、ヘロディアスの娘 サロメ。古井戸から漏れ伝わるヨハナーンの声が気になり、自分に好意を抱いている衛兵隊長をそそのかしてヨハナーンを連れ出させ、会うなり一目惚れしてしまいます。身体に触らせろ、髪に触らせろ、声をきかせろ、口づけさせろとまぁ、初めて会った相手になかなかの求愛ぶりをみせたサロメですが、ヨハナーンから一蹴されてしまいます(この熱烈かつ軽薄なサロメの姿に絶望し、サロメに好意を抱いていた衛兵隊長は自殺)。

おもな登場人物全員があたおかさんです。たぶん一度もみたことがなくこの感想ではじめて話を知るかたは、レディースコミックか?昼ドラか?と疑問をいだくことでしょう。

とうぜん、この「サロメ」のほうがレディコミより先輩にあたりますので念のため(笑)

ヘロディアスが止めるにもかかわらず、ヘロデ王の「踊りをおどってくれたら王国の半分でもなんでもあげる」という誘いに応じ、サロメは「七つのベールの踊り」をおどります。そして、福音書とことなりヘロディアスにお伺いをたてず自らの意思で、サロメはその謝礼として「銀の大皿にのせたヨハナーンの首」をヘロデ王に要求します。

ヘロディアスは「でかした我が娘」と、ヨハナーンにうんざりしている自分のための行動だと勘違いして歓喜。ヘロデ王はヨハナーンの人気やほんとうに聖者だったら?というおそれから考えをあらためるよう再三求めますが、ついに折れます。

生首がサロメのまえに差し出されました。

サロメがその生首にくちづけして「苦い……これは血の味?いやこれが恋の味?」と恍惚の表情を浮かべ、それをみて察したヘロデ王が「殺せ!」と兵に命じて、サロメは押しつぶされて死にます。兄弟の妻だろうとなんだろうとぜんぶ欲しいものは自分のものにしてきたヘロデ王にとって、次のターゲットとしてねらっていた女が目の前でほかの男を愛する姿は、嫉妬と怒りでたまらなかったでしょう。そうかんがえると発作的な「殺せ!」の命令とそのあとの急な場面転換も、よくわかります。

 

27日の九響と沼尻さんによる演奏は、じつに素晴らしいものでした。

冒頭の駆け上がる音形のあと、衛兵隊長ナラボートの「Wie schon ist die Prinzessin Salome heute Nacht!(今宵のサロメ王女はなんと美しい!)」のあたりで、耳がホールの音響に慣れておらず(アクロスですしね……)空間把握ができずに戸惑います。

やがて曲がすすむにつれて舞台と聴こえ方が一致してきます。そうなるとここからあとは一気呵成。あらゆる見せ場が決まり、最後のヘロデ王「Man tote dieses Weib!(あの女を殺せ!)」で、なぜか居るはずがない兵隊さんが突進してきて盾で押しつぶす場面が脳内再生され、あっというまに幕でした。

オペラだとオーケストラピットのなかで指揮者が腕をぶんまわしている姿はなかなかよく見えないものです。こうやって舞台にオーケストラと指揮者があがってくれると、沼尻さんの細やかな指揮姿とそれに応ずる楽員のみなさんの姿もみえて、じつに興味深いものがありました。

過去にサロメの実演に接して、「オペラというよりかは、舞台と声楽つきの交響詩ではないか」と書いたことがあります。今回、ひさしぶりに実演に接し、その感想は間違っていなかったと再確認しました。

サロメ役の歌手はほぼ出ずっぱりだし、可憐な歌声から大声まであらゆる歌をこなし、(今回は演奏会形式なのでありませんが)オペラだと「7つのベールの踊り」をおどらなければなりません。とんでもない難役ですが、このあたりの発想は(オペラ指揮者だったはずなのに)リヒャルト・シュトラウスが楽器の延長で声楽をみていた時代の産物ともいえます。

「サロメ」のあとの「エレクトラ」がこの路線の頂点で、「ばらの騎士」の元帥夫人になると、ずいぶんとオペラらしいオペラになっていきます。

この難役をこなす田崎さんの声を聞きながら、すごいなぁとおもうことしきり。

数年に一度ごとでもよいので沼尻さんを招いて「エレクトラ」「ばらの騎士」と取り上げてくれたらいいなぁ……とおもいます。「ばらの騎士」の元帥夫人を田崎さんで聴いてみたいともおもいます。

さすがに難しいかもしれませんが。